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「ったく、面倒くさいわね。いいから早く来なさいよ」

そう言うと紅白の御目出度い衣装に身を包んだ巫女は、面喰っている私の腕をがっしりと掴んで歩き出す。
その動作があまりにも素早く、強引だったため、思わず後をついて歩き出す形になってしまった。

「あ、あのですね。どこに行くとか、とにかく説明を、まず、してくれると、助かるんですが……」

よっぽど焦っているのか、性分なのか、言葉足りずに事を進める巫女の背中を追いながらとりあえずといった程度の非難の声を上げる。
この場においては両方当てはまっているのかも知れないが、いずれにせよ後者が大きなウェートを占めていることには間違いない。
私の部屋を出て、神霊廟の出入り口に向かってずんずんと歩いていく巫女からは歩きながらでも説明しようというつもりは感じられなかった。

私が長い眠りに就いたこの神霊廟は夢殿大祀廟の最奥部に位置し、さらにその夢殿大祀廟自体も巨大な空間を誇っているため、歩いて外に出るつもりならば簡潔に目的を語るくらいには十分すぎる時間がかかる。
にも関わらず、それをしないというのはこの巫女の怠慢だと言うべきであろう。

「だからー、最初に言ったでしょうが!いいから黙ってついてきなさいって」

半ばいらついたように答える巫女。
やはり説明はしてくれるつもりはないらしい。
もうすでに巫女に引っ張られる形で霊廟の玄関が見えるところまで来てしまっていた。

「最初に言ったも何も、君はただ、えんか――」

言い返そうとした刹那―――
視界が強烈な光に包まれる。


一瞬遅れて周りの空気をつんざくような澄んだ音が耳当て越しに響き、言いかけた言葉が遮られる。
同時に視界を覆っていた光が収束し、黄色い閃光を放つ矢とその形を変え、私達へと――いや、正確には「決して私には当たらない」軌道で前を行く巫女へと襲いかかる。
さながら雷のように湾曲した黄金の尾を引きながら、巫女へと迫る数多の光の矢。

巫女は私の腕を掴んでいた手を離すと、もう一方の手に持っていたお祓い棒に添えて前方へとつき出す。
眼前まで迫っていた光の矢――正確には雷の矢は、目標となる巫女へと到達することなく突如としてお祓い棒の前に現れた結界に遮られ、鈍い音を響かせ霧散する。

「ちょっと!いきなり何するのよ!!」

巫女は足を止めて臨戦態勢を取ると、霊廟の出入り口――雷の矢の飛来元にお祓い棒の先を向けて、叫ぶ。

「それはこちらの台詞ですよ」

薄暗い霊廟の門の影から足代わりの二股に分かれた霊体をそよがせ、空中を滑るように雷の射手――雷を操る程度の能力を持つ亡霊、蘇我屠自古がその姿を現す。
屠自古は巫女の突き出すお祓い棒が届かない程度の距離まで近づくと、その手にバチバチと雷の力を溜めたまま、必然的にこちらを見下ろす形で威圧するように告げる。

「いきなり現れて何の断り無しに太子様の部屋にまで侵入し、あまつさえ太子様を拐かそうなど言語道断。由なき行為ならただじゃおきませんよ」

巫女の返答次第では今にも再び雷を落とさんという声色の屠自古。
冷静さを保とうとはしているが、表情と心中は穏やかなものではない。

「なんだ、あんたか。あんたにそれが出来るモンならやってみなさい、っていいたいところだけど、こっちはそんな面倒なことするつもりも暇もないの」

紅白巫女は、さっさと臨戦態勢を解くとスタスタと歩き出して、気を張る屠自古の横を抜けて霊廟の外へと出て行ってしまった。
その毒の抜けた態度に拍子抜けしたのか、茫然とした表情で見送ることしかできない屠自古。
私と屠自古が立ち止まって――もっとも屠自古は浮いているが――ついてこないことに気づいた巫女が振り返る。

「ほら、何をぼさっとしてんのよ。さっさと行くわよ」

トントン、とお祓い棒で肩を叩きながら同行を促してくる。
その巫女を指さしながら釈然としない顔で屠自古が振り返りこちらを見てくるが、私も曖昧な顔で首を傾げることしかできない。
私も状況を把握できていないことを察した屠自古が、先ほどの私と同じ質問を問いかける。

「いまいち状況が掴めないんですがこれからどこに行って何をするつもりなんですか?」

うんざりした表情を隠そうともせず巫女が答える。

「だーかーらーさっきから言ってるでしょうが。これからあんたらの――」
「太子さまあああぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!」

今度は巫女の言葉が屠自古とともに私に仕えるもう一人の従者の叫び声によって遮られる。
その声の主は全力疾走で私達の後方――恐らく神霊廟の別の一室にいたのだろう――から現れたかと思うと、私達の姿を確認し乱れた息を正そうともせず矢継ぎ早に質問を投げつける。

「はぁはぁ……!太子様!部屋に居られませんでしたのでどこに行ったのかと!どちらに向かわれるのですか!!それに先ほどの轟音は一体…!?御無事ですか!?…ややっ!そこな巫女!お主、一体誰の許可を得てこの霊廟に!太子様を連れ出して何を企むか!!」
「はぁ……とりあえずうるさいから黙って頂戴」

大きな溜め息を吐くと巫女は今しがた現れた私の臣下――物部布都に短く告げる。
布都は一瞬怯んで言葉に詰まるが、黙れと言われて黙る性分ではない。
すぐに言い返そうと言葉を紡ぐが――

「黙れとは何事だ!!お主、やはり太子様を連れ去り何かする気だな?太子様、お下がりください!ここはこの物部布都にお任せを!さぁ、紅白よ!何を企んでおるか白状して――」
「布都」
「おう、屠自古よ!共にこの太子殿に仇なさんとす不埒な巫女を締め上げ――」
「布都」
「……どうした、屠自古よ。早く巫女を――」
「布都。少し静かにしていてください。貴方が口を開けば開くほど話が進みません」
「……ッ!屠自古、まさかお主もこの巫女に……惑わされ……て……?」

じっとりとした三人分の視線を受けて、やっと自分だけが空気を読めていないことに気づいたのか、私と巫女、屠自古と順番に視線を泳がせ、2、3週したところで私に助けを求めるような視線を向けてくる。

「た、太子様……?」
「とりあえず取って食おうとしてる訳じゃないようですから落ち着いてください。大丈夫ですよ、ありがとう」

布都があまりにも困ったような顔をしているのでやんわりと静黙を促す。

(……こういうと、また後で屠自古に「太子様は布都を甘やかしすぎです!」とか怒られそうですが)

「も、申し訳ありませぬ。てっきり我はこの巫女が再び攻め入って来たのかと……」

また早とちりしたことに落ち込んだのか、徐々に頭を下げながら尻すぼみに言うと布都は本当に黙ってしまった。

「……で、もうこの茶番はいい加減終わりにしてもいいかしら?まぁ三人共揃ったみたいだし、ちょうどよかったわ。あの仙人もどきは多分先行ってるだろうし。ていうか、こんなことしてる間にもあいつらが勝手におっぱじめっちゃって――」

自分の言葉に気づかされたのか、巫女は途中で呆れた顔をハッとした驚きへと変えると、再び大祀廟を抜ける大扉の方へと体を向ける。

「そうそう、だからこんなことしてる場合じゃないんだってば!あぁ、もう!どいつもこいつも勝手なんだから!ほら、急ぐから飛んでいくわよ!」

言うや否や、巫女は、ふわりと体を空中に浮かせると出口に向かって飛び始めた。
未だに状況が掴みきれていないが、とにかく急ぐ事案であることが彼女の「欲」から容易に察することが出来たのでとりあえず後を追って飛び立ち、それに素早く屠自古も付いてくる。

「え?あ?お、お待ちくだされ!」

屠自古に一瞬遅れて布都もちゃんとついてきたことを確認し、神霊廟を出て大祀廟を封じる大扉へと脇目も振らずに進む巫女に追いつくと、巫女に再びその意図を尋ねる。

「で、結局どこに向かうんですか?それにさっきはあぁ言ってましたが、一体何のために?」

巫女は進行方向は変えないままに、顔だけはこちらに向けて答える。

「はぁ?それがわかってなかったの?」
「ですから聞いているのですが……」
「え?あんたの能力って確か勝手に心だか欲だか読み取ってぜーんぶわかるんじゃなかったの?どっかの地底の妖怪みたいに」
「その妖怪とやらは知りませんが、そこまで便利なものでもないですよ。さっきまでの君は急がなくては、という欲と後はなにやら誰かに対する怒りと……食欲でいっぱいでしたからね」
「そーなのよ!本当にあいつら全部人任せでさ!挙句の果てに主役が来る前に勝手に盛り上がって始めちゃうしさ!戻ったらただじゃおかないわ!せめて私の分くらいは残しててもらわないと!」
「だからせめてどこに向かってるかを教えていただきたいのですが……それに主役、とは……?」
「だいたいさー!なんで私が1から10までお膳立てしなきゃいけないのよ、って話よ!魔理沙も文も、いつもやれ最速だの幻想郷一はやーいだの言ってる癖にこういう肝心な時に役に立たないんだから!それに他の連中にしたって――」

最後の私の言葉は届かなかったのか、ずらずらと愚痴を並べていく巫女。
結局そうこう言ってる間に、自分たちがどこに何のために向かってるかもわからないまま大祀廟の出口まで来てしまった。
彼女が来たときに開け放したままにしていたのであろう大扉を止まることなく抜けていくと、やや上り坂となっている洞窟の先にうっすらと陽光が差し込む穴が見える。

この洞窟を抜けることで、やっと神霊廟から外にたどり着く。

「――そう思うでしょ?……ってもう出口まで来たのね。よし、建物は抜けたしもっと急いでいくわよ」

愚痴が一段落したところで大祀廟を抜けたことに気づいた巫女が、そう言って飛翔の速度をあげる。
私達もその言葉に従い加速していく。
そして、一気に洞窟を駆け抜けると――外に飛び出した私達の眼下に、傾き始めた太陽の光を受けて光り輝く天然の御影石の墓石が林立する墓場が広がった。


死して後も、愉しく、心安らげる場所があるようにと人々に作られ、夜には妖達が集い毎夜毎夜、愉しく運動会を始める、直線の楽園。
そして、その横には――私達にとっては忌々しいものであり、私と布都の復活を妨げようとしていた、幻想郷における仏教の象徴たる寺院――命蓮寺がそびえたっていた。
普段なら昼間は仏教の教えに賛同した参拝客、夜間は門前にて妖怪が習わぬ経を読み境内には近辺の妖怪達が顔を出す、人妖を問わず高僧・聖白蓮を慕う者達の出入りが絶えない場所だったが、今日は何故か閑散としているようだった。

(何度見てもこの洞窟を抜けて最初に見るのがこの寺というのは……あまり気分がいいものではありませんね)

ほんの少しだけ苦い表情で寺を見つめた後、ふと、後ろの二人の従者に視線を送ると屠自古は翳りのある冷たい表情を浮かべ、布都は苦々しく眉間に皺を寄せて、二人も同様に命蓮寺を見つめていた。

恐らく二人も私と同様の思いを抱いているのだろう。

(……いや、もしかしたら私と二人では違う思いを抱いてるのかもしれないな……)

私としては命蓮寺を憎む気持ちが全くないと言えば嘘になるが、こういった手段で私を封じようという輩が現れることは想像の範疇であったし、こうして復活できた以上向こうが何かしかけてこなければどうこうしようという気持ちはない。
しかし、二人が同じように考えているとは限らない。

覚悟の上で自分のために望んで眠りに就いた私よりも、私のため、共に尸解仙となるために一度死を受け入れた布都、そして亡霊となってまで私達の目覚めを千四百年待ち続けた屠自古の方が思うところがあってもおかしくはない。
私の能力を以てすれば、二人がどのような思いを命蓮寺に抱いているか、さらには千四百年という長い時に何を思うかを知ることは容易だが……そうしたいとは思わなかった。
もし布都や屠自古が醜い恨みを抱いているのだとしたらそれを勝手に聞くことはしたくはないし、私を信じてついてきてくれる二人に対する礼を欠く行為だと思う。
そして、布都が蘇って何を成したいか、屠自古がどのような思いで私達を見守り続けたか、それはこれから二人の口からゆっくりと知ることが出来れば、それでいい。

と、そこまで思考したところで巫女の存在を思い出す。
眼下に鎮座する命蓮寺に思いを馳せていたのは、そう長い時間ではなかったのように思うが、巫女はいつのまにかさらに高度を上げ、東の方へと進路を向けて進み始めていた。

「あぁ、いけません。屠自古、布都、彼女に置いて行かれてしまいますよ」
「…あ、はい。すぐに」
「おぉ、そうであった。申し訳ありませぬ」

同じように考えて込んでいた二人に声をかけて、後を追うように高度を上げる。
高度を上げたことで広がった視界には、幻想郷の風景が飛び込んでくる。



見渡せば、命蓮寺から少し離れた活気溢れる人里、満開に向けて競うように日差しを目指す太陽の形をした花の咲き誇る花畑。

一度迷えば二度と出てこれなくなりそうなほど生い茂る竹林と、飲み込まれるような深い緑に覆われた森。

その森に囲まれた霧の立ち込める湖と、霧の合間から映える鮮やかな深緋の館、湖へと至る源流を抱き、白い雲を超えてさらに高くそびえたつ大きな山。



澄み渡るような青空の下に広がるそれらの景色の美しさに見とれ、息をのむ。
思えば、これほど高くから幻想郷を見渡したことはなかった。
この景色に関しては後ろの二人も同じように感じたらしい、二人も自分と同じように高度を上げながら視線を忙しなく四方へと送っている。

――っと、いけませんね。確か命蓮寺から東の方には……

景色の美しさに飲まれて再び巫女のことを意識から外しそうになるのを堪え、先行する巫女のさらに先、幻想郷の東の端の地へと視線を向ける。
巫女の目指す先には、先ほどの雲を突き破るほど高い山と比べると山というにはあまりに小ぶりな山と、その山腹から覗く赤い鳥居。
そこでやっと行先に検討がついて、昼下がりの空を気持ちよさそうに駆ける巫女に声をかける。

「もしかして君の神社に向かうつもりですか?」
「え?あぁ、結局言ってなかったっけ?そうよ。向かうのは博麗神社」

外に出て少し機嫌を良くしたか、先ほどまでの険は薄れ、柔らかい表情をした巫女が答える。

「君は最初に『宴会やるから来なさい』と言ったきりでしたよ……で、結局何故神霊廟の奥にまで私達を呼びに来たのです?」

そう、私が聞きたいのはそこなのだ。
ただ酒を飲んで騒ぎたいなら、幻想郷に来たばかりの私達を無理矢理連れに来る理由がない。
正直に言えば、つい先日戦った相手や知らない者達に混ざって飲み騒ぐというのにも抵抗があった。

「あー……いつもは勝手に集まってきた連中やら萃香に萃められてきた奴らで私の許可無く宴会騒ぎを始めるんだけどね……」

空を行くのを止め私達に向き直ると、そこで巫女は言葉に詰まる。

「?」
「いやね、私はそんな慣習みたいにする必要ないとも思うんだけど……魔理沙に思わずポロッとこぼしたら意外と乗り気になっちゃうし、何故か紫も聞いててやりましょう、なんて言ってくるし、萃香も張り切っていーっぱい人萃めるよ、とか言い出すし、そこに文屋が来てじゃあ号外配ってきますとか言ってもう引くに引けないというか……」

声真似も交えて言いながら、目を少し泳がせて頬をかく巫女。
話の見えない私達の顔に浮かぶ疑問符に気づいたのか気づいてないのか、さらに言い訳を続ける。

「あぁ、もちろんやることに反対している訳じゃなくてね。どうせあいつら言うだけ言って宴会やるための名目が欲しいだけだってのも分かってるんだけど、言いだしっぺな以上、じゃあ勝手にやんなさい、って訳にもいかないし」

ふわふわと空中をうろつき、まるで照れ隠しでもするかのように誤魔化す。

「あれだけ我々を急がせておいて随分とくぐもった物言いをするのう」
「う、うるさいわね。つまり!つまりよ!」

私達の後ろ側まで回り込んだところで霊廟でのお返しとばかりに布都に急かされた巫女が、先ほどまで私達が見惚れていた景色を背景に一つ、軽く咳払いをして、大きく手を広げて息を吸って――

「えー……豊聡耳神子とその愉快な仲間達。一応、これから貴方たちの歓迎会をやらせてもらうわ。ま、こっちはいつも通り飲んで騒ぐだけなんだけどね」

ほんの少しだけ照れたように微笑む巫女の笑顔に太陽の眩い光が射す。

「ようこそ、幻想郷へ」

巫女が私に向かって手のひらを差し出す。


(あぁ、思い出した。そういえば初めて彼女が私の前に現れた時――)

彼女は、ずっと、こうして生きてきたのだ。
あの時、私は彼女の『欲』を聞くことで彼女の歩んできた人生を知った。


紅い悪魔がこの地を霧で覆った夏も、亡霊の姫に春を奪われた寒い寒い日も、寂しがりな鬼が繰り返した宴会に付き合った時も。
永い永い欠けた満月の夜も、幻想郷中に咲き誇る花の中でも、新たな神と巫女に宣戦布告されても。
我がままな天人に神社を壊されても、地下深くに封じられた妖怪達と出会った時も、私と同じように封印から目覚めたあの僧に対しても。

それよりもずっと前から。そして、今回も。
この巫女は幻想郷の結界を担う者としてこの地を覆った異変に立ち向かい、幾度破れようとも数多の傷がその身に刻まれようとも立ち上がり、異変を必ず解決してきた。

そして全てが終わればその相手に手を差し伸べ、ふと気付けば皆が彼女を中心に回っている。
妖怪も、人間も、神も、分け隔てなく。

なんとなく、彼女が『楽園の素敵な巫女』と呼ばれるかを理解できた気がする。
彼女は、この幻想郷そのものなのだ。
相手の種族や力に関わらず全てを受け入れ、それでいて、何者にも染まらない。
それは照りつける強い日差しのように時にはとても残酷な一面を持つけれども、きっと光を求める者にとっては救いにすらなるのだろう。


私が彼女に向き直り姿勢を正したのを見て、布都と屠自古がそれぞれ私の後ろに付き従い同様に直立する。
私は空中でも地上と同じように、腰を折り、頭を下げ、彼女の手に自分の手を重なる。
後ろで二人が膝を折って屈み顔を伏せるのを感じながら、誠意を持って彼女の誘いを受ける。

「ありがとう、楽園の巫女、博麗霊夢殿。その歓迎、謹んで受けさせていただきます」
「……やっぱなんか照れるわね、こういうの。そんなかしこまらなくていいわよ。って、早くいかないと!せっかちな連中ばっかりだから主役が来る前に酒も御飯も全部食べられちゃうわよ!」

霊夢ははにかんだように笑うと、ゆっくりと手を離し、皆の待つ博麗神社へと再び飛び始める。

「はい。さぁ、屠自古、布都、私達も行きますよ」

私達もまた、霊夢の後を追って飛翔する。


――こういうのも悪くはないかもしれませんね。

もう神社は目と鼻の先だ。
不安や警戒もないわけではない。

それでも私は、少し、自分の心が躍っているのを感じていた。





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「さ、着いたわよ。一応ざっと皆には言ってあるから適当に座ってれば適当に誰か来るかもしれないし、適当に空いてるとこに入ってもいいと思うわ」
「要は好き勝手にやってるから好き勝手に宴会に混ざれ、ということですね……」

宴会会場である博麗神社の裏手の縁側に着くと、霊夢は説明にもなってない説明を残してさっさと表から聞こえてくる喧騒の中へと歩き出して行く。

「さて、どうしましょうか太子様。とりあえず表の方に出てみましょうか?」
「そうですね。ここまで来て混ざらないという訳にもいきませんし、私達が復活した時に来ていた方々もいるようですからまずはそちらの方に挨拶に伺いましょうか」

屠自古の提案に賛同し、神子達は人気のない裏庭から表の参道側へと歩を進める。
と、突然神社の壁の一角が、ぽこん、と間抜けな音を立てて綺麗な円の形に切り抜かれて落ちる。

「太子殿、お待ちしておりましたわ」

壁を切り抜いた張本人がその切り抜いた壁の縁から身を乗り出して満面の笑みを三人に向ける。
いつも通りその横には彼女の僕である僵尸を従えていた。

「せ、青娥!お主なんというところから挨拶しておるのだ!無礼だぞ!」
「……それ以前にそんなところを切り抜いてあの巫女に何を言われるかわかりませんよ」
「あら、屠自古さん心配してくださるなんてお優しい。でもご心配なく、これが初めてではございませんから」

青娥、と呼ばれた仙女――霍青娥は『壁抜けの邪仙』の異名にそぐわず、今しがた切り抜いた壁を乗り越えて外へと降り立つ。
それに続いて青娥の忠実な部下であり、死した不屈の体の持ち主、宮古芳香が出ようとするが――

「せいがー、ごしゅじんー、にゃんにゃんー……出れない」

彼女の固まった関節では穴を超えることが出来ずに縁にひっかかって主人である青娥に手伝いを催促する。

「はいはい、お待ちなさい」

すぐに振り返って壁に向かって進み続ける部下を引っ張り出してやる青娥。

「改めて、おはようございます、と言ってももう宵の口ですが。こんばんは、太子殿、布都さん、屠自古さん。ほら、芳香も御挨拶なさい」
「太子さまぁ!あと二人ィ!うぉはぁよおおぅ!!」
「こら、ちゃんと名前をお呼びなさいな」

天色の美しい羽衣をはためかせ深窓の令嬢のようにたおやかな仕草で頭を下げる青娥と、ところどころ土色を覗かせる白粉で塗り固められた真っ白な腕を伸ばし切り、ふんぞり返って大きな声を張り上げる芳香。
対照的な二人だが、どこに行く時も常に青娥はこうして芳香を連れている。

「こんばんは、青娥。芳香もおはよう」
「相変わらずじゃのう……こんばんは」
「……こんばんは」

にこやかな笑顔で答える神子と、少しごちながらしっかり頭を下げる布都と、控えめな声で淡々と屠自古。
こちらも、それぞれの挨拶を返す。
これで、神霊廟と共に幻想郷へとやってきた五人、つまり、今回の宴会の主役が揃ったことになる。

「着いていたなら先に混じっていても良かったのですよ」
「いえいえ、太子殿を差し置いてなどと恐れ多い。それにこの霍青娥、皆様方と離れて一人見知らぬ方々の輪に入るほどの勇気もない小心者でございますわ」
「ふふっ、心にもないことを。なんにせよお待たせして申し訳ありませんでしたね。それでは共に行きましょうか」

青娥と芳香を加え、再び歩き出す神子達。
歩きながら少し考えた後に芳香が口を開く。

「待て!せいが!芳香がいたぞ!」
「残念ね、貴方は死んでいるから数の内に入らないのよ」
「……おー?おぉ、そぉなのくわぁ!」
「……相変わらず頭まで腐ってるのう」
「?お前も腐ってるのか?お互い大変だな」
「我ではない!お主のことじゃ!」
「おぉ?確かに芳香は腐ってるな。お前は腐ってないのか?」
「腐ってなどおらぬわ!」
「でも、最近まで死んでたよな?」
「死んではおらぬ!そう見せかけておいて復活したのだ!」
「芳香もだ!仲間!」
「お主は未だに死んでおろうに!」
「……屁理屈を」
「どっちがじゃ!」

二人の会話――会話として成立しているかどうかは別として――を聞いていた青娥が短い笑いをこぼす。

「布都さんは芳香と会うたびに仲良しで妬いてしまいますわ」
「どう見たらそう見えるのじゃ!青娥……お主、きちんと部下の躾をだな!」
「布都、いつまで騒いでるんですか」

横を行く青娥に対して喚く布都は、屠自古の言葉を聞いて視線を前に戻し――呻く。

「なるほど……出来上がってるのう」

宴会の催されている神社の参道側に出ると、布都の言葉通り神子達の前ではすでに宴会も佳境、といった様相を呈していた。

「これはこれは……先に始めてる、とは言ってましたがすごいものですねぇ」
「すごい、というか……この人達本当に騒ぎたいだけなんでしょうね……」

苦笑交じりにこぼす神子に対して、小さな溜め息を吐いて屠自古が答える。

「あらあら、随分楽しそうですこと」

じっくりと見渡して、どこか楽しそうな声で青娥。

神子が会場を見渡すと、散り始めた桜の間を漂う騒霊達が楽器らしきものを振り回しながら演奏し、それに合わせて雀のような翼をはためかせた妖怪が歌い、その横では多数の人形を操りながら金髪の少女が舞う。
周りでは観客から拍手が沸き起こる。

端では、頭に長い二本の角を生やした小さな鬼と額に大きな一本の角を生やした鬼が笑いながら殴り合っていた。
二人の拳が交差するたびに小さな衝撃が辺りに走り、地面が揺れる。
止めるに止められなくなった妖怪達が観念したように囃し立てる。

反対側では、高下駄履いた少女がなにやらメモを片手に青い長髪を靡かせる少女の周りを飛びまわる。
そのしつこさに怒ったのか、青髪の少女がどこからか取り出した緋色の剣を振り回すがそれを避け続け執拗に質問を繰り返す高下駄の少女。
息を荒げ剣を止める少女に、ずいっと高下駄の少女が近づくが……その瞬間、その少女の上空から雷光が降り注ぐ。
それを見て一瞬驚いた神子は屠自古を振り返るが、どうやら同じ光景をみていたらしい屠自古は神子と目が合うと慌てて首を振り関与を否定する。

その間を飛び回り騒ぎすぎた連中を説教していく霊夢と、そこら中に転がる空になった瓶を抱いて酔いつぶれて眠る妖怪達。

「色んな方がいるみたいですねぇ」

流石に少し呆れた神子が低い声音で呟く。
と、そこで布都が驚愕と少しの怒気を孕んだ声を張り上げる。

「太子様!あれを……!!」

布都の指さす方向には、数人の妖怪達の輪が出来ていた。
そして、その中心に鎮座するのは――

「聖、白蓮……!!」

とてもじゃないが予想していなかった人物の姿を目撃した神子が呻く。

「彼女が来ているということは周りの妖怪達は妖怪寺に住む妖怪か。まさか彼女達まで来ているとは……道理であの寺が静かだったのですね」
「連中め……!どんな気持ちで歓迎などとぬかすのだ……太子様!!ここはやつらにお灸を添えてくれましょうぞ!!」

布都の声を聞きながら神子は命蓮寺の集まりの中心、聖に視線を送り続けていた。
ふと、聖が顔を上げ――二人の視線が交錯する。
一瞬驚いた聖だったが、すぐに表情を柔らかいものにし座ったままぺこりと頭を下げる。
神子は聖と同様に頭を下げると、怪訝な顔をしてこちらに振り返ろうとする命蓮寺の妖怪達から視線を外し、布都に向き直る。

「……おやめなさい、布都。折角霊夢殿が立ててくれた場、ここで騒げば霊夢殿の顔を潰すことになる」
「ですが……!!」

苦痛に喘ぐような声を上げる布都。
だが、神子にはここで命蓮寺と一戦交えるという考えは微塵もなかった。

「布都、太子様の言うとおりですよ」

黙って二人のやりとりを聞いていた屠自古が神子の言葉に賛同する。

「そうですよ、布都さん。宴会とはお酒を楽しく嗜む場でしてよ?そうカッカなさらずに」

やはりどこか嬉しそうな様子の青娥も布都を窘める。

「さて、太子殿。太子殿の御尊顔を拝見させていただきまして、私、勇気を頂けましたわ。折角の機会ですし、いろんな方々に御挨拶できるよう頑張ってまいります。では、また後ほど」
「えぇ、わかりました」

青娥はそう言い残すと、まだ何か言いたげな布都が口を開く前にさっさと芳香を連れて行ってしまった。

「……全く、青娥もなにを考えておるのか……結局一人で行くのではないか」

大きく溜め息を一つ吐いて頭を冷やした布都が呟く。

「彼女には彼女なりの考えがあるのでしょう。それに一応気も使ってくれるみたいですよ」
「?」
「とにかく私達も加わりましょう」

疑問符を浮かべる布都にそれ以上構わず、神子は歩き出して見知った顔が談笑する席に近づいていく。
そこには、神子達は復活した際に霊廟に攻めてきた人間達が集まって和やかな雰囲気を作り出していた。
屠自古と、まだ少し納得のいかない布都も続く。

「こちらに失礼してもよろしいでしょうか」

一番近くに座っていた白黒の衣装に身を包んだ少女に声をかけると、その魔法使い――霧雨魔理沙は待ってましたと言わんばかりの表情で横にずれて空間をあける。

「おぉ来たか。待ちくたびれたぜ」
「今回はこのような場にお招きいただきありがとうございます」

先ほどまで自分が座っていた場所をばんばんと叩きながら着席を促す魔法使いに対して、謝辞を述べながら三人は腰を落ち着かせる。

「あー?そんな畏まらなくてもいいぜ。こっちはいつもの宴会と変わらんから気にするな」

そういって手に持った御猪口の中の酒を飲み干す。

「そんなこと言って別に魔理沙さんが呼んだわけじゃないし、むしろ積極的に呑み始めてましたよね」

隣に座る緑髪の少女が空になった魔理沙の御猪口に注ぎながら言う。

「だから細かいこと気にするなって」
「全くもう……。それはさておき、ようこそおいでくださいました。聖徳太子様」

緑髪の少女は手に持った酒瓶を置くと、手を着いて深々と頭を下げる。

「いえ、そちらこそそう畏まらずに。君は確か……」
「東風谷早苗と申します。幻想郷で最も高き山の山頂に神社を構え神として祀られる一方で、共に祀られる二柱の巫女の真似事をさせていただいております」

頭を上げた早苗は神子達三人に御猪口を渡すと、魔理沙に注いだものと同じ酒を注いでいく。
上等な物なのだろう、瓶から放たれた日本酒の持つ華やかな香りが神子達の鼻をくすぐる。

「おぉ、其方は確か太子様のことを知っておられるのでしたな」
「えぇ。幻想郷に訪れるより以前外の世界にいた手前、存じ上げております。その常人の理解の境地の及ばぬほどの偉大な功績より外ではすっかり太子様の存在はなかったものとされておりますが、こうして実際に御目にかかれるとは至極の喜びでございます」
「なんともお前らしくない言い回しだな。気持ち悪い」

目をキラキラと輝かせすらすらと言う早苗を見て、眉を寄せる魔理沙。
いつのまにか御猪口をショットグラスに持ち替え、外国の文字の書かれたラベルの洋酒を手酌している。

「外の世界を知らない魔理沙さんは御存じないでしょうけど、この方はそれほどすごい方なんですよ!」

魔理沙は目の前の地面を両手で叩きながら主張する早苗を相手にせず、自分で注いだ酒を一気に呷る。

「うむ、そうであろうそうであろう!やはり神ともなる者はものの見方がわかっておられる!」

自分の主君が褒められるのを聞いて気分を良くしたのか、布都は先ほどまでぶつくさと言っていたのが嘘のように、上機嫌で早苗の言葉に賛同する。

「まさか道教の秘術を身に付け復活なさるとは、本当に素晴らしい力をお持ちです!」
「いえ、未だ長く険しき道の途中にございます」

明らかな世辞と誇張を含んでいるとはいえ、ここまで賞賛の声を向けられると神子も悪い気はしなかった。
……しかし、早苗の調子の良い言動の裏側に潜む、本人すら気づいていない『欲』はとっくに神子の元へと届いていた。

「そこでお願いがあるのですが……」

ずいっと神子へと近づく早苗。
いつの間にやら神子の手を取り、さらに顔を近づける。
神子の視界のほとんどを早苗が埋める。

「ど、どうしました?」

彼女が何を求めているかは分かってもここまで積極的に来るとは思わず、眼の色を変えて迫る早苗に少したじろぐ神子。
神子は視界の端の方で、心なしか二人に向けられる屠自古の視線が鋭くなるのを感じた。

「博学多才、該博深遠たるその英知の一端、皮相浅薄たるこの私に御教授くださらないでしょうか!!」

早苗の言葉、無意識から力を求める『強欲』と信仰を集たいという『我欲』が迸る。
本人はそれを神子の力への羨望と尊敬としか認識してないから余計に性質が悪い。

「えー、それはですね……道教というのは本来――」
「それはいい!太子様、この者は教養にも優れ、高い向上心もお持ちのようだ。道教の精神を学ぶ素質があると見えます」

神子がやんわりと断ろうとしたのに気付かず、布都が早苗の『お願い』に耳を傾けてしまう。

「ですから、その向上心というのが――」
「本当ですか!えーと……」

またも勢いに飲みこまれ、神子の言葉は二人へと届かない。

「む、名乗っていなかったか?私は物部布都。太子様に使える傍ら、太子様と同様に道術を嗜んでおる。我でよければ其方に道教の修行をつけてやろう」
「本当ですか!どうかよろしくお願いします!」

いつの間にか神子の手を離し、今度は布都の手を強く握りしめさらに目を輝かせる早苗とまんざらでもない表情の布都。

「いや、待って、そのまずは話をですね――」

神子は勢いに逆らおうと試みるが――

「しかし、我の修行は厳しいぞ。道教の力を見に付け仙人に近づくということは並の努力・心力・体力では一時も持たぬものと思うのだ!」
「……はい!コーチ!!」

すでに二人の世界は完成したようで、神子が入る隙間は全く見当たらない。
自由になった手で頭を抱え、神子が呻く。
屠自古も今回は助け舟をだすつもりはないようで、黙って注がれた酒を飲んでいる。

「うむ、その意気だ!……良ければ、そちらの方も御一緒にいかがであろうか」
「ふぇ?わ、私ですか?」

端に座って事の成り行きを苦笑交じりで見ていた半人半霊の少女が、立ち上がって意気揚々と腕を振る布都から唐突に話を振られ間抜けな声をあげる。
まさか自分がその世界に勧誘されるとは思ってもいなかったようだ。

「とぼけなくても良いのですぞ。お主も仙人であろう。共に更なる高みへと参ろうぞ!」

布都はずんずんとその少女の前まで来ると、少女に向かって手を伸ばす。

「え?妖夢さんも仙人なんですか?」

布都の後ろにくっついて肩口から妖夢――白玉楼に住む冥界のお嬢様に仕える庭師、魂魄妖夢に向けて期待に染まった視線を送る早苗。

「そんな訳ないだろ。そんな半人前の仙人がいてたまるか」

笑いながら言う魔理沙の声は、当然布都と早苗の耳には届かない。

「隠さなくともよいのです。のう、太子様」
「うーん、そうですね。確かにその方の『欲』は普通の人と違い、全てを読み取れる訳ではありませんが……」

布都に言われ一応事実のみを述べる神子。

「ほれ、みたことか!」
「でもそれは半分死んでるからじゃ……」
「そうして蘇ったからこその尸解仙なのであろう!」
「いや、蘇ってないんで半分は死んでるんですけど……」
「凄いじゃないですか!じゃあ妖夢さんも是非教えてくださいよ」
「え、えーと……だから私も修行中の身なんですが……」
「御謙遜なさるな。後進に指導することで見つめなおせる部分もあるでしょう」
「うーん……じゃあ剣の修行にもなるかも知れないし、いいのかな……?あぁでも幽々子様の許可を貰わないと……」

「……相変わらず煮え切らん上に流されやすい奴だ」

布都と早苗の煌々と輝く視線に見つめられ徐々に流されていく妖夢を尻目に、次々色んな酒に手を伸ばす魔理沙。

「布都は……随分行動派になりましたねぇ」

と、大きく息をこぼして神子。

「死してなお、元来の不治の病が加速しているだけでしょう」
「あぁ死んでも治らないヤツか。それは厄介だな」

種々の酒を一口呑んでは、時々満足したように頷くとその酒を自分に注いだ後に神子と屠自古にも注いでくる。
気を取り直して呑んでみると、なるほど、種類は違えど魔理沙の勧めてくる酒はどれもとてもおいしかった。
満杯になった御猪口を四回ほど空にしたところで、ほぅ、と神子が息を吐く。

「上戸の方には良い時代になったのですね」
「時代は変われどお酒に対する人の思いは変わらないのですねぇ。……太子様は決して上戸の方ではないのですから無理はなさらないでくださいね」
「はい、わかってますよ」

何故か深く酔った次の日は体中が痺れますからね、と続けようとした口を慌てて止め、代わりに酒を満たして黙らせる神子。
再び空いた御猪口にすかさず魔理沙が次の酒を注ぐ。

「おいおい、世の理を語る太子サマともあろう人がそんなんじゃいけないな。無理を通さにゃ道理も通らんぜ?」
「こ、こら。やめなさいって」

いつの間にかすっかり仲良くなったのか、三人で肩を組んではしゃぎまわる布都と妖夢と早苗。
その横で談笑に花を咲かせる神子達。

(……なるほど、悪くはないですね)

神子の心からは警戒の色が消え、純粋に楽しもうという腹積もりが出来ていた。



――――――――――――――――――――――――――――――



しばらく他愛ない話題やお互いに質疑応答をしていたところに、沈みかけた太陽に変わって辺りを爛々と照らす灯籠の光を遮って、影が差す。

「お疲れ様です。霊夢殿。大変なようですね」
「お疲れさん霊夢。お前もここで一緒に呑もうぜ」

先ほどまで届いていた光の方へと顔を上げると、あらかたの大騒ぎを静め終えた霊夢が立っていた。
それぞれ労りの言葉を口にすると少し疲れた表情の霊夢が手をひらひらと振る。

「まぁ、いつものことだしね。……そこの白黒がゆっくりのんびりしてるのは納得いかないけど。あんたアレまで忘れないでよ?」
「おー。任せとけ」

霊夢の言葉に手をひらひらと振って答える魔理沙。

「アレってなにかあるのですか?私にもお手伝いできることがあるならば手伝いましょうか」
「あぁ、あんた達は気にしないでいいわよ。お客さんなんだからのんびりしてて頂戴。そんなことより、あんたに会いたいって人がいるから連れてきたのよ」
「……私に、ですか?」

神子の質問を軽く流して霊夢が本題に移る。
神子は少し気になりはしたが、霊夢がそういうのであれば大したことでないのだろうと思考を霊夢の言う人物へと切り替える。
真っ先にある人物を連想するが、その可能性の低さからすぐに思い直す。
だが、目覚めて間もない神子にとっては他の心当たりとなる人物はいなかった。

「それは構いませんが、どなたですか?」

慮外の来客を迎えるべく立ち上がりながら聞くと、どうやらその人物は霊夢の数歩後ろで事の成り行きを見守っていたらしい。
霊夢に促されると、水色のメッシュの混じった銀髪に、赤いリボンのついた特徴的な帽子を被った少女が前に出てきた。
神妙な面持ちで神子を見つめてくる。

当然だが神子の見覚えのない人物だ。

「貴方が豊聡耳神子様ですか?」
「えぇ。貴方は?」
「失礼ですが、本物の厩戸皇子……聖徳太子様にあられますか……?」

その少女は私の肯定を聞いて真剣な眼差しをさらに深め、かつての神子の名を口にする。

「外の世界では、そのように呼ばれていましたね」

本当に久しぶりにそう呼ばれたことに少し驚きつつも、もう一度首を縦に振る。

「ふおぉ……!本物の太子様……!!」

少女の顔が、崩れる。
驚愕、歓喜、興奮、愉悦――そこにほんの少しの疑惑、悲哀、落胆も混ぜて。


彼女の顔と心から様々な感情が一度に溢れ、それとは対照的に何かを言おうとパクパクと開く口からは何の言葉も出てこない。

「あの、貴方は――?」
「こ、これは失礼仕りました!!私は上白沢慧音と申します!御会いできて光栄です!!!私は歴史家として幻想郷の歴史を編纂する傍ら、人里の寺子屋を開き子供達に勉学を指導しております。この幻想郷においても太子様のご高名はかねがね伺っておりました!!一歴史研究家としてこの国の歴史を象徴する立場の方に御会いできるとは夢にも思いませんでした!!」

慧音、と名乗った少女が深々と頭を下げて口早に言う。
突然の変化に神子達が驚くが、普段の慧音を知る霊夢達の驚きはそれ以上だった。

「さっきも似たようなやりとりを見た気もするが、慧音が言うってことは本当に有名人なんだな」

二人のやり取りを見ていた魔理沙が横に座る早苗に言う。
それを聞いて頬を膨らませる早苗。

「むっ。ちょっとそれどういう意味ですか」
「落ち着きなさいよ慧音。あんたらしくもない」

気を取り直した霊夢がなだめるがその顔は少しひきつったままだった。
普段は冷静沈着で見た目以上に大人びた態度を取る慧音が、これほど何かに興奮して大きな声を出して騒ぐということは霊夢達にとっても初めての光景だった。
喜色満面の表情を浮かべながら慧音が霊夢の方へと振り返る。

「これが落ち着いてなどいられるか!まさか本当に聖徳太子様に御会いできるとは……!!夢が一つ叶ったかのようです!」

すぐに神子へと視線を戻すと、言葉遣いは丁寧なまま、年ごろの少女のような黄色い声音を出す慧音。
そこに人里の子供達に堅苦しい口調で難解な授業をする先生・上白沢慧音の面影はなかった。

「ありがとうございます。そのように言われるとは、まだ私も捨てたものではないのかもしれませんね」

先ほどの早苗とは少し違い、目の前の少女の純粋な敬意からの言葉を受けて神子は少し照れたように頬を掻く。
慧音は神子の前に来るとその手を取り、ぶんぶんと振ってくる。
神子は強烈な既視感を感じたが……今回は真後ろに立っているはずの屠自古の方は見ないでおいた。

「当然です!!存在を疑うなどとんでもない!貴方の威光は、未来永劫に語り継がれるべき光だと存じております!――あ、ちょうど良いところに、妹紅、貴方も御挨拶なさい」

興奮冷めやらぬ慧音は、たまたま通りがかった真っ赤なモンペを履いた少女に声をかけて大きく手を振る。

「ん?どうしたの慧音、やけにテンション高い――って」

少女――妹紅は振り替えってこちらを向くが、すぐに何かに気づいたかのように顔を曇らせるとそそくさと立ち去ろうとする。

「い、いや、私はいいよ……。ほら、屋台の女将さんも歌い終わったみたいだし、挨拶してこようかなー……なんて」
「それは後でもいいだろう!そんな風だからいつまでも馴染めないんですよ!」
「いや、そういう問題じゃなくて――」

背を向けて歩き出した妹紅を追いかけてその手を取ると、いつぞやの霊夢のように強引に神子達の前へと連れてきてしまった。
目線を合わせないようにと顔を背け続ける少女を前にして、ふと神子がなにかに気づく。

「……ん?君は……ただの人間ではありませんね」

人の『欲』を聞くことの出来る神子の耳が違和感を捉える。

「いや、私はどこにでもいる普通の炭売りですよ、ははは」

と、顔を背けたまま白々しい口調で妹紅。

「妖怪とも違う……普通、全ての生きる物は最も強く心にこびりついた二欲――生への執着と死への羨望、すなわち生存本能を消し去ることはできません」
「まさか、この方も仙人か?だとしたら幻想郷には随分と仙人が多いのだな……」
「そうかとも思いましたが、それにしては他の『欲』にムラがありすぎる……生きるために必要な欲は低く、他者や自分の地位に関する人間的な欲は強い……」

慧音達と話していることに気づいて寄ってきていた布都の推測を否定する。

「彼女のように命を持つ存在ではこんなことはありえません。そんなことが出来るとしたら、妖夢殿や芳香のようにすでに死んでいるか、神や妖精などの死の概念を持たないか――あるいは生死を完全に超越した存在か、です」
「いや彼女はですね……その特殊というか、少し特別な事情がありまして……な?妹紅」

神子が妹紅を見つめ、慧音がその二人の間で狼狽える。
肝心の妹紅はというとよっぽどこの場にいたくないらしい、曖昧に笑いながら顔をあさっての方向に向けてじりじりと後ずさっていく。
だが、神子達の疑問は続く魔理沙の一言であっけなく氷解する。

「あぁそりゃそうだぜ。だってこいつは不老不死だからな」
「ちょっと余計なこと言わないでよ……!」

妹紅は慌てて魔理沙を黙らせようと口の前で人差し指を立てるが、遅すぎた。

「不老不死……だと……!?」

予想外の回答を得て、布都の声が驚愕に染まる。

「太子様は仙人ではないと言ったが……ならばいかのように不老不死の力を!?」
「いやぁ、そんなたいそうなもんじゃないですよ……」

妹紅が小さく一歩後ずさりするごとに、布都が大股で一歩踏み出して距離を縮めていく。

「布都、そのように詰め寄って戸惑わせてはいけませんよ。私は豊聡耳神子。不老不死を目指す尸解仙として、是非お話を伺わせていただきたい」

布都の肩を後ろから掴んで留め、改めて神子が名乗る。

「あ、えー……妹紅、です」
「妹紅!それは行儀が悪いぞ、きちんと名乗――」

つい、神子に対する妹紅の態度を見て慧音が口を出すが――

「いや、失礼した!こちらが先に名乗るべきであった。我は物部布都と申す」
「私は蘇我屠自古。こちらの布都と共に豊聡耳神子様に仕えさせていただいております」

屠自古の名前を聞いて慧音の顔から血の気が引いていく。
慧音は「蘇我」の二文字を聞くまですっかり忘れていた――妹紅の一族と「蘇我」に纏わる因縁を。

「さぁ、是非お話をお聞かせくだされ!」

慧音が止める間もなく、布都が妹紅の前に立つ。

「いや、だからそんな語るほどのモンじゃないって!」

すぐ近くまで寄ってこられたことで、思わず妹紅は振り返ってしまった。
やっと正面から捉えた妹紅の顔を見ても見覚えがない神子と布都は何も感じなかったが――二人の後ろに立つ屠自古だけは違っていた。

「貴方どこかで見たことあるような……?でも、そんなことあるはずがないし……すみませんが、もう一度きちんと名前を伺ってもよろしいでしょうか」

屠自古は頭の奥深くから少し顔を出している記憶を取り出そうとしてみるが、思い出せない。
しまった、と言わんばかりに妹紅が慌てて顔を伏せ、さらに庇うように間に慧音が入ってくる。
古の記憶の手がかりとなった妹紅の顔を再び見ようと屠自古が覗き込むが、妹紅が完全に手で顔を覆っている上に慧音の後ろへと隠れてしまって確認することが出来ない。

「あ、いや、こいつはな、えーと……上白沢……そう上白沢妹紅だ!私の妹なんですが、不死であることに甘えてこの通り旋毛が曲がったようなやつでして、是非太子様の爪の垢でも煎じて飲ましてやりたいと思いましてですね」
「えー、上白沢妹紅です。よろしくお願いシマス……」

慌てふためいた慧音ともはや投げやりな妹紅が茶番劇を演じる。
――当然、あからさまな嘘だと分かった神子と布都が怪訝な表情を浮かべる。
屠自古はそんな自己紹介などには耳を貸さず、必死に記憶の海を探っている。

「?なんで嘘つく必要があるのよ?あんたは藤原妹紅じゃ――?」


「「余計なことを言うな!!」」


二人の様子を不思議がった霊夢としては当然の一言のつもりだったのだが、二人にとっては妹紅の名は最悪の言葉だったらしく、霊夢に向かって怒鳴りつける。

だが、全てはもう遅かった。

「『ふじわらの』……?今ふじわらのもこう、と言いましたか?」

藤原、という姓を聞いて、屠自古の記憶の中の遥か昔に見たある少女と眼前の少女の姿が重なる。

「……思い出した!!かの藤原の屋敷で見た少女か!!」

屠自古の納得がいかぬまま神子と布都が眠りに付き、ある事件によって兄とその息子を失い、絶望の淵で世を彷徨い続ける屠自古の脳裏に深く刻まれた、幼き日の妹紅の姿。
髪こそ色が抜け落ち長く伸びているものの、顔立ちやおおまかな体格は千数百年前に見た時のままだった。

「何!?じゃあこやつ、蘇我を滅ぼした――!」
「えぇ。……我が兄とその息子――入鹿を殺し、蘇我の一族本宗家の血を絶った藤原の一族の者です」

怒りをあらわにして、まるで射殺さんばかりの視線で妹紅を睨む屠自古。
その視線から妹紅を庇うように両手を広げ、慧音が屠自古の前に立つ。

「お待ちください屠自古殿ッ!!確かに妹紅は藤原の者ですが――」
「是非に及ぶつもりはありません……その者がいかような人物かは知りませんがその者の祖の行いを知らぬとは言わせませんよ」

慧音には目もくれず、屠自古は妹紅に対して告げる。
妹紅も顔をあげ、げんなりとした表情を浮かべながら屠自古を見つめる。

「確かに我が兄と入鹿の行いは愚かだと言えましょう。私自身彼らを許したわけではありません……ですが、一族の恨みと私個人の感情は別……」

すぅ、と一つ息を吐き、屠自古が続ける。

「貴方が何故生きているか、とは聞きません。なるほど、不老不死ならばこの時代まで長らえることも出来ましょう。私がいくら力を振るおうともその身を焼き尽くすことが出来なくとも……それでもせめて一筋でも、彼らへの手向けをその身に刻まねば私の気がすみません!!」

臨戦態勢を取る屠自古に対して、妹紅が構え、慧音も引く姿勢を見せない。
一触即発の状況で――

「待てぃ!屠自古よ!」

布都が屠自古の肩を掴み、止める。

「止めないでください、布都!!」
「先ほどまで我を止めておったのはお主であろう?先ほどより止められてばかりで鬱憤が溜まっておるのだ、ここは私に任せておれ」

屠自古を後ろに引いて、自らが屠自古の前にでると妹紅を指さして布都が告げる。

「貴様がまさかかの一族の者であったとはな……我と太子様の残した仏教を利用し、我らの復活を妨げておったのも裏でお主達が手を引いていたのであろう?」
「いや、それは私は知らないけど……」
「黙れ!其方達の行い、例え天が、神が、太子様が許そうと、この物部布都と蘇我屠自古が許さぬぞ!!」

布都が大きな声を張り上げる。
もはや衝突は避けられない状況になったが、なおも慧音が食い下がる。

「物部様、蘇我様、これは違うのです!」

だが、それを妹紅が引き留めて布都同様慧音を下がらせて、自分は一歩前へと足を踏み出す。

「仕方ないよ、慧音」
「例え捨てられ見放されようと、藤原の名を捨てられなかった私が悪い。いくら私が馬鹿でも、こいつらの家と藤原の因縁くらいは知ってるしね……大聖人と呼ばれる人物とその周りの人々が復活したって聞いたときからこうなるような気はしてたよ…」

言いながら妹紅は、銀色の髪に結ばれた呪符を解くと、指に挟み、構える。
たちまち符が赤熱を帯び出し、先端から真紅の炎を走りだす。

「前口上はそれまでか?――では、蘇我の受けた恨み、我が晴らしてくれようぞ!!」
「それでも、はい、そうですかってやられる訳にはいかないんでね……降りかかる火の粉は燃やし尽くさせてもらうわよ!!」

全速で妹紅に襲い掛かる布都と、布都に対して燃え盛る呪符を突き出す妹紅。
二人がまさに交錯しようとするその刹那――


ゴゴッ


「ふおっ!」
「ぬぐっ!」


「だからやめなさいってば」

鈍い音が二人の頭から響く。
思慮の外からの一撃を受け、二人は仲良く同じポーズで頭を抱えて蹲る。

「全く……どうしてここに来る連中は、こう、皆暴力的なのかしらねー」
「いや、それを君が言うのもどうかと思うぞ」

今しがた布都と妹紅の頭に痛恨の一撃を加えた御祓い棒に、わざとらしいしなやかな仕草で頬を寄せる霊夢に対して、呻き声を上げて両手で頭をさする妹紅をさりげなく自分の後ろまでひっぱりながら慧音が非難の声を上げる。

「なに、文句あるの?もとはと言えばあんたがそいつ引っ張り出してくるからでしょうが」
「それはすまなかったが、霊夢が妹紅の名前を……いや、なんでもない」

慧音はさらに反論しようとするが、霊夢が睨むように目を細めるのを見て、口を閉じる。

「ともかくこれで喧嘩両成敗ってことで大人しくなさいよ」

腕を組んでふんぞり返って霊夢が言うが、当然屠自古はそんなもので気が晴れる筈がない。

「待ちなさい、そんな言葉では私ははぐらかされませんよ。藤原の者よ」
「そうじゃそうじゃ!」

片手で痛む頭をさすりながら、もう一方の手をで妹紅を指さし、布都が続く。
……霊夢に睨まれて屠自古の後ろに隠れながら、ではあったが。
布都を睨む霊夢が面倒くさそうにさらに布都になにか言おうとするが――

「そうよねぇ。いくらこういう場だろうと逆恨みだとしても、見つけてしまった仇に対してそう簡単に引き下がれないわよねぇ」

突如として全員の頭の上から声が響く。
驚いた一同が見上げると、空に一筋の線が走り空間が裂ける。

「それが一族郎党の恨みじゃ、余計、ねぇ。ね、藤原妹紅さん?」

その隙間が徐々に広がり、幻想郷を総べる妖怪――八雲紫が顔を出す。
上半身だけ空に浮かんだ姿に全員分の視線を集めて、そんなことは気にせずに満面の笑みで妹紅に言葉をかける紫。

「……まぁね……」

紫の言葉になにか思うところがあったのか、妹紅が顔を伏せる。

「ちょっと紫!あんたまで煽らないでよ!!」
「そうねぇ、折角お酒の席なんだもの。暴れ回られるのは困るし――そうよ、こうするのはどうかしら?」

紫はまるで用意してたかのような台詞を白々しく言うと、ぱん、と手を打つ。
と、紫が現れた時のように地面の傍に大きな線が引かれ――大量の多種多様な酒が開いた隙間から落とされる。

「この際お酒で勝負する、というのはどうかしら?」
「あ、それならいいわよ。好きやんなさい」

紫の提案にあっさりと霊夢が乗る。
展開について行けずに一瞬黙った後、布都と妹紅が批難の声を上げるが――

「酒だと!そんなもので誤魔化され――」
「いや、私はここで騒ぐつもりは――」

「あらあら、私のお酒が呑めないとは言わせないわよ?」

元より聞くつもりのない紫は合わせていた手を離し、妹紅と布都へと向けて指を向ける。
その指をすーっと空中を滑らすように下ろすと、二人の背後に空間の境目が生まれ――
殴り合いに疲れてきたところに霊夢の乱入でこってり絞られ、再び酒を呑んでいた鬼が二匹落ちてきた。

「痛っ!紫の仕業か!なにすんだい、鬼がせっかく仲良く酒を呑んでるっていうのに!!」

落ちて尻もちをついた小さな鬼が紫に噛みつく。

「全くだよ。鬼の宴を邪魔したらどうなるかわかってんだろ?」

こちらは綺麗に着地し、手に持った杯から零れそうになった酒を一滴も落すこともなく受け止める。

「ごめんなさいねぇ。萃香、星熊さん。そう、折角の宴会なんだけどそちらの二人が中々皆様の輪に入れなくてお悩みのようですので……」

紫の右手の人差し指が妹紅を、左手の人差し指が布都をしっかりと指さす。


「二人に手伝っていただきたいと思いまして」


そういって紫が満面の笑みを浮かべるが、それは傍から見たら悪魔の微笑みにしか見えなかった。
そして、振り返った二匹の鬼の顔は……完全に獲物を見つけた時の鬼の顔をしていた。

鬼二人が顔を見合わせ、口角をつり上げる。

「よーし、じゃあ萃香、喧嘩の続きだ」
「いーよ。受けて立つ!」
「先に酔い潰した方の勝ち、だな」

「いや、私は、その――」
「わ、我はいいぞ。自分で呑もうと思っていたところで……なぁ、屠自古よ」
「確かこの場は布都に任せてよかったのでしたね……御武運を」
「う、裏切り者ぉ!」

二人が逃げ出そうと背を向けるが――完全に手遅れだった。
一歩目を地面につける前に肩をがっちりと鬼達に捕まれ、スタートを待たずしてあっけなく鬼ごっこは終わりを告げた。

「不老不死じゃ、死んでも呑めるねぇ。妹紅」

ひきつった顔の妹紅がゆっくりと振り返ると、あどけない笑顔の萃香が優しい口調でとんでもないことを言う。

「私も地上じゃ新参だからよォ、一緒に馴染んで行こうぜ」

すでに涙を浮かべた布都が見た勇儀の顔は、とても馴染めそうもない不敵な笑みを浮かべていた。

有無を言わさぬ力で無理やり座らされると、妹紅と布都の手に一升瓶が渡される。
二人は自分の手に持たされたものと鬼の顔を交互に見やるが、鬼は全く意を介さず、自分達もそれぞれ近くにあった瓶を取りふたをあける。
鬼二匹は瓶を二人の前に差し出すと、満面の笑みで綺麗に声を重ねる。

「「さ、かんぱーい」」





――――――――――――――――――――――――――――――





「むーこれじゃ引き分けられぇ」
「あー残念無念ー勝負はまた次の機会だねぇ」

そう言い残して鬼達は、気分を良くして元の所へと戻っていった。
周りにいた霊夢や魔理沙たちもいつの間にか別の輪に逃げていたようだ。

「どうして……どうしてこんなことに……」

桜の木に縋り付き瓶を咥えて朦朧とした意識で泣きながら謝る布都をなんとか茣蓙の上まで引っ張ってきて横にさせたところで、屠自古と神子はやっと一息吐く。
今は、その布都は時折嗚咽の混じる寝息を立てて眠りに就いている――一升瓶を抱きしめながら。

「これが鬼ですか……恐ろしいものですねぇ」

痛む頭を片手で支えながら、過ぎ去った台風の感想を述べる屠自古と神子。
二人とも、その頬を真っ赤に染めている。

「いや、本当に申し訳ない……」

すでに帽子が行方不明になった頭を深々と下げて、二人に慧音が謝る。

「貴方達と妹紅を引合せばどうなるか、少し考えればわかることでありましたが……舞い上がってなんとも浅はかなことをしてしまいました」
「まさかこうなるとは予想もできませんでしたし、貴方が謝ることではありませんよ」

結局、鬼達は二人だけじゃ飽き足らず、立場上他の場所へも行けない神子と屠自古、慧音も巻き込んで呑み始め酒がほとんど尽きて目標の二人が完全に沈黙したことを確認して去って行った。
残されたのはほんの僅かばかりの酒瓶と、なんとか潰される手前で耐えきった三人と少し離れた茣蓙で眠る布都、そして――慧音の膝の上で仰向けに眠る妹紅のみだった。

「そういっていただけると救われます……」

再び頭を下げる慧音。長い髪が垂れて、妹紅にかかる。

「ん…」

妹紅はくすぐったそうに頬をかくと、寝返りを打って顔を慧音のお腹側へと向けて身を縮める。
慧音はその様子を屠自古達に見られていることに気づき、はっとなって慌てて何かを取り繕うように言う。

「いや!これはその……!違うのです!その……酔ってるので仕方なくですね」
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」

二人の様子を眺めた神子が、慈しむような優しい表情を慧音へと向ける。

「あ、ありがとうございます」

顔を赤く染めて、慧音が俯いて言う。

「本当に仲がよろしいのですね」
「えぇ、妹紅には最近何かと手伝ってもらってますから……」
「貴方がその者に向ける思い、彼女に通じておりますよ」

「え?」

神子が突然発した言葉に慧音が素の表情を見せる。

「私は人の『欲』を聞くことが出来るのです。失礼ですが貴方が藤原の者に向ける『欲』、藤原の者が貴方に向ける『欲』を聞かせてもらいました。互いに信頼し、辛き時、嬉しき時を共に過ごし、それがこれからも続くようにと願う思い……それは確かなものです」
「そのような力を……」
「すいません。野暮でしたね」

自らの力に慧音が少し驚いたのを見て神子は困ったように笑い、頭を下げる。
その様子を見た慧音は、再び慌てて両手を伸ばして左右に振る。

「いえ!とんでもないです。貴方ほどの御方にそういって頂けるとこれまでの自分の行いに自信が持てます」
「良き出会いをしたのでしょう。それほど彼女の心は安定している。かつて心の全てを支配していた業を心の端に小さく畳んでしまって、折り合いをつけられるほどに」

神子の言葉が嘘偽りの類ではないことが分かったのであろう。
慧音は嬉しそうに微笑んで何も言わずに妹紅の顔を撫でる。

「……それでも私は彼女を許すことはできません」

神子と慧音のやりとりを横で聞いていた屠自古が口を開く。
二人の目線が屠自古に向けられるが、その屠自古は幸せそうに眠る妹紅から視線を外そうとはしない。

「本来ならば、例え亡霊であろうともこうして蘇ることが出来たことを喜ぶべきなのかもしれません。ですが、私と同じく業深き一族に生まれながらこうして永遠の命を手に入れ、安寧の思いを抱き眠ることが出来る彼女を……私は許すことが出来ません」

屠自古はすでに肉体を失った足の上に置いた手を強く握りしめる。
自分は亡霊となり気が遠くなるほどの時と数多の困難を乗り越えようやく布都と神子と再び出会えたというのに、何故彼女は不死の体を持ち信頼できるものとの時を過ごしているのか。

それが許せなかった。

自分の醜さを露呈していることも、紫が言ったように逆恨みであることは分かっていたが、それでも憎しみを消すことは出来なかった。

「……屠自古の気持ちも分かります」

いつもなら耳に届けばすぐに心に平穏をもたらしてくれるはずの神子の声も、今の屠自古には安易な慰めにしか聞こえなかった。
神子がそんなことをいうような人間ではないことは、屠自古自身が一番よくわかっているというのに、だ。
だが、そんな屠自古が初めて抱いた思いを否定するかのように神子は言葉を続ける。

「ですが、あの方も貴方同様の思いを抱いて千年を超える孤独を過ごしてきたのです」
「……え?」

神子の意外な言葉に屠自古が目を丸くする。

「まさか。蘇我を打ち倒すほどの力を持った豪族に生まれ、永遠の命を手に入れ、このような理解者にも恵まれた者がですか?」

屠自古が神子の顔を見るが、彼女は嘘や冗談を一切含まない真摯な目で妹紅を見つめていた。

「今でこそ心許せる者の元でこうして眠ることが出来ていますが……生まれ落ちた時より誰からも祝福を受けず、永久の命を手に入れても認められることもなく過ごしてきた」
「……」
「自分を受け入れない世界を恨み、終ぞ自分を認めてはくれなかった父の仇をも憎み、気が狂いそうになるほどの長い孤独の果てにやっと止まり木を見つけ……ようやく過去を清算しようとすこしずつ前を向き始めることが出来たのです」

屠自古の怒りに困ったような、理解されて喜ぶような表情を慧音が浮かべる。

「こうして口で言うのは簡単ですが、いくら彼女の人生を知ったところでそれがいかに過酷なものであったかを本当に理解できるのは……彼女だけでしょうね」

三人分の視線を受け、その視線も、それぞれがどんな思いで見つめているかも知ることなく慧音の膝の上で幸せそうに寝息を立てる妹紅。
その姿からは、彼女の過去が凄惨なものであるとは想像し難かった。

(それを知ったからこそ、神子様はあえて彼女と……上白沢さん、二人の関係に触れたのか……)

ただ相手の存在に対して怒りを燃やす屠自古に聞かせるために。
確かに屠自古には幸せそうに眠る彼女を見てもなお、怒りを燃やし続けることは出来なかった。
行き場を無くしつつある怒りと自分の情けなさと少しの酔いに何も言えなくなって口を噤んだ屠自古に向かって神子が続ける。

「千の年を超えて生き続ける孤独、私には未だ理解できませんがその時を過ごしてきた者にしかわからない思いもあるのでしょう」

そして、神子は屠自古へと視線を移す。
屠自古が気付いて振り向くのを待って、神子はゆっくりと告げる。

「……そして、貴方が彼女を羨む気持ちも届いていますよ。……自分の不甲斐無さを思い知らされるばかりです。申し訳ありません」

そういって、神子が少し顔を伏せる。

「何を神子様が謝ることがあるのですか!」

屠自古は思わず立ち上がって、叫ぶ。
少し離れた席に座る妖怪達がその声に驚いて振り返り、視線を集めていることに気づいた屠自古が羞恥に少し頬を染めてすぐに座りなおす。
ほんの一瞬だけ静かになった屠自古達の周りは、再び周りの騒乱に呑みこまれて元の賑やかさを取り戻す。

「今日の屠自古は賑やかですねぇ。飛鳥の頃を思い出すようです」

曇った顔に少しぎこちない笑顔を浮かべる神子。
恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをして、屠自古が先ほどの言葉の意味を神子に問いかける。

「太子様のどこが不甲斐無いのですか。私も布都も貴方の器に惹かれたからこそ、今もこうして付き従っているのです」
「……その通り、ですぞ〜……たいしさまー」

自分の名前を呼ばれたことに反応したのか、唐突に布都が右腕を振り上げて話に乗ってくる。
屠自古と神子が驚いて振り返るが、寝ぼけていただけかすぐにパタッと腕を落として再び寝息を立て始める。
少しだけ苦笑を浮かべた後、神子が話を戻す。

「ありがとうございます。ですが、こうして再び蘇るまで……貴方には言葉に出来ないほどの迷惑をかけてしまった」
「そんな迷惑なんて……」
「寂しい思いもさせました」
「……そんなことありません。今、再びこうしてお目覚めになられただけで私は……」

「あー……こほん。お邪魔なようでしたら私達はそろそろお暇させていただきます」

少し屠自古と神子の距離が近づいたのを見て、傍観していた慧音がわざとらしい咳払いをして相好を崩す。

「あ、いやこれはその……!……すいません」

顔を真っ赤に染めた屠自古が慌てて距離を取る。
元の位置に戻った屠自古は再び妹紅に視線を落とす。

「……確かに私は彼女が羨ましいのかもしれません。彼女と、上白沢さんのような関係が……」

屠自古は自分の言葉の意味に気づいたのか、赤面したまま口ごもって俯く。

「その者にとっての貴方のようになれるのでしょうか……太子様のために……」
「屠自古……」

神子が屠自古の言葉に対して肯定の言葉を言うのは簡単なことかもしれない。
だが、それを認めるのは屠自古自身の問題であり、例え神子本人の言葉であっても彼女は心の中に納得出来ない思いを抱えるだろう。
それがわかっているからこそ、神子は何を言えば良いか分からずに口を噤む。

「……私が貴方方ほどの人達にこんなことを言うのはおこがましいことかもしれませんが……」

慈しむように、あるいは懐かしむように――二人を見て慧音が優しい声色で声をかける。
屠自古が顔を上げると柔らかな笑顔の慧音と目が合う。

「ほんの僅かな時間の御一緒させていただいただけですが、私から見ても豊聡耳様と蘇我様、物部様が強い絆に結ばれているのは良くわかりました」

慧音が妹紅の頭を撫でる。
その仕草には信愛する者への慈愛に満ち溢れていた。

「ですが蘇我様は何故か、一歩引いておられるかのようです。どこか遠慮しているような」
「いえ、そんなことは――」

口では否定していたが、屠自古は内心では動揺していた。
確かに屠自古は、自分は布都や青娥のように自分の意見を主張するようなことをしないようにしなくては、という思いを抱えていた。
しかし、それはほんのわずかな姿勢の問題であって、はたから見てわかるほど自分が行動に制限を与えてるとは思ってもいなかった。

「見ていればわかります。私もそうでしたから」
「……」

「無理に誰かになる必要はないのです。貴方は貴方のままで豊聡耳様の傍にいれば……。私はそれを妹紅から教わりました」
「……私のままで、ですか」

布都でも青娥でもなく、自分だけに出来ること――
ふと、屠自古は生きていた頃にも同じ気持ちを抱いていたことを思い出す。

布都のように神子の政を助ける力を持たず、青娥のように神子に新たな道を示すこともできない。

そんな自分に出来ること。

「焦って求めるものではありません。時間はたっぷりあるでしょう?」

迷いが晴れたわけではなかったが、そういって笑う慧音の顔を見て少しだけ気持ちが安らぐのを屠自古は感じていた。



――――――――――――――――――――――――――――――



「さて、そろそろ本当にお暇させていただきます」

会話が少しずつ他愛ない雑談へと移って、先ほどの残った酒を嗜みながらしばらく話したところで慧音が切り出す。

「あ、あの……上白沢さん。本当にありがとうございます」
「慧音、でいいですよ。皆そう呼びます」
「ならば私も屠自古で構いません。どうかよろしくおねがいします」
「私からも、ありがとう。とても楽しい時間を過ごさせていただいた」
「そんなとんでもない。こちらこそ豊聡耳様とお話しできるとは僥倖でした」

妹紅を起こさないように身の回りを簡単に片づけながら慧音が笑う。

「あら、折角良いところでしたのにお帰りになられるなんてもったいない。是非私ともお話していただきたいところですわ」
「せ、青娥殿!?貴方今までどこに……それに後ろのは……?」

と、神子と屠自古の間から顔を出してどこかから戻ってきた青娥が急に話に加わってくる。
その後ろには――

いつもの芳香ではなく、顔と両手だけの――その一つ一つが青娥とほぼ同じ大きさではあるが――白桃色の入道を連れていた。
困った顔をした入道の手のひらでは、呻き声をあげる命蓮寺の門前の妖怪と尼のような頭巾を被った妖怪が寝かされていた。

「これか?これは……雲山だ!」

その雲山、とやらの頭の上から芳香が顔を出して誇らしげに答える。

「ふふ、戦利品ですわ。だらしないですねぇ、布都さん。折角この霍青娥が憎き相手を懲らしめてきたというのに」
「貴方、寺のところに行ってたのですか!事を起こすなと太子様に止められたでしょう!」

不敵な笑みを上げる青娥に対して屠自古が非難の声を上げる。

「あら?ちょっと一緒にお酒を頂いただけですわ」

屠自古と神子の間に無理やり座ると、じっと妹紅を見つめる青娥。

「それにしても、私の知らない術による不老不死……興味がありますね」

青娥は屠自古が次の言葉を紡ぐ前に話題を変える。
というよりも口ぶりから察するにこっちが本題だったのだろう。

「どうかいかにしてそのようなお力を得たのか、御聞かせ願えませんか?」
「……彼女が不老不死を身に着けたのは詮方無き事情故のことです。どうか詮索はご容赦を」

突如として現れ、妖しい視線を妹紅に送る青娥を僅かに警戒したのか、少しだけ強張った声でいう慧音。

「……確かに易々と語るべきものではありませんね。さぞ大変な事情があったのでしょう……。ほんの戯れだと聞外してくださると幸いです」
「私の口から語る訳にも参りませんので……申し訳ない。さぁ、妹紅、帰るぞ」
「……ん?んあー……もう呑めないってば……」

慧音は膝の上の妹紅の頬を軽く叩いて覚醒を促すが、酔いつぶれて手をひらひらと振るだけの妹紅を見て嘆息する。

「全く仕方ないな。妹紅、起こすぞ。肩は貸すからなんとか立ってくれ」
「ふぁーい」

妹紅の頭を手で支えて膝を抜くと、そのまま妹紅の背中に手を回し立ち上がって妹紅を引き起こす。
慧音の肩を借りてふらふらと妹紅が両の足で立つ。

「では、これで失礼させていただきます。またこのようにお話を窺える機会があれば、いつでも馳せ参じさせていただきます」
「えぇ、こちらこそまたよろしくお願いします」
「……先ほどはご迷惑をおかけして申し訳ありません。改めてお話できれば幸いです」
「今度は是非私めにもお時間くださいね」

それぞれの返事を聞いて、妹紅を抱えたまま頭を下げる慧音。

「それでは、失礼します。見送りは構いません」

最後にもう一度慧音は小さく頭を下げると境内の裏手へと足を踏み出す。
三人に見送られながら数歩進んだところでぴたりと止まり、顔だけを屠自古の方へと向ける。

「?どうかされましたか?」
「屠自古殿、これから貴方達は永き時をこの幻想郷で過ごされるだろう。その日々の先、貴方も妹紅の良き理解者になってくれ……とは言わないがいつか分かり合える時が来ることを祈っているよ」
「……」

屠自古は何も言えずに座ったまま少しだけ頭を下げる。

最初に出会った時と違い、屠自古は妹紅に対して憎しみ以外の感情も覚えていたが、それを受け入れるには余りにも時間が足りなかった。
だが、それはつまり、時が解決してくれる問題なのかも知れない、ということも屠自古は自覚していた。

「ありがとう」

言葉に出来ない屠自古の気持ちを察したのか、頭を下げただけの屠自古に対して慧音は短く礼を言うと再び背を向け夜の空へと飛んで行った。

「なかなか……あの方も仙人になる資質があるようですねぇ」
「青娥。やめなさい」

慧音の飛び去る後姿を見送った後、不敵な笑みを浮かべて言う青娥に対して神子が釘を刺す。

「冗談ですよ、太子殿。そんな怖い顔をなさらずに」

青娥は誤魔化すように笑って神子の持つ御猪口へと酒を注ぐが、神子は嗜めるような視線を送ることをやめようとはしない。

なんとなく気まずい沈黙が流れる。



「それにしても、ですよ?屠自古さん、あなたがあの御方を羨むとは意外でしたねぇ」
「そ、それは……」

その雰囲気をなんとか解消しようとしたのか、青娥が屠自古へと向き直って言ってくる。
屠自古は、今しがた見送った慧音達についてぼんやりと考えていたところに急に言われて口ごもる。

「もしかして……貴方――」
「違う!私はただ――!!」

青娥に自分の中が長い時抱えてきた思いを否定されることを恐れて屠自古は声を上げるが――

「屠自古さんも太子様に膝枕したかったとか?」
「……へ?」

全く予想と違うことを言われ、屠自古は素っ頓狂な声をあげる。

「あら、違いましたか?」
「ち、違います!!」

青娥の言ってることを理解して、慌てて否定する屠自古。

「それにしては随分羨しげな目であの少女を見つめておられましたようですが?」
「それはそういう意味ではなくてですね…とにかく違うんです!」
「あら、じゃあしたくないんですか?」
「青娥殿!……それは、その……」

急に砕けた話題になって、屠自古の頭は青娥の言ってることについて行けなくなる。

「あぁ、亡霊のその体じゃ出来ないからとか?」
「何を言ってるのですか、貴方は!」
「そうだ!じゃあ私、屠自古さんのお体も作ってさしあげますよ」
「結構です!」

手を打ちならす青娥の言葉を必死で否定する。

「意地を張らなくてもいいのに……私も芳香の手入れをするときはしてあげるんですよ、膝枕」
「そんなことは聞いてません!」
「強情ですねぇ……それに、そんなに否定されては太子様が可哀そうですわ」
「いや太子様、これは、そのですね……」

あたふたと手を忙しく振りながら屠自古は神子に対して弁解しようとする。

「大丈夫ですよ、屠自古。わかってますから」

いつの間にかこちらも頬を赤く染めて神子が言う

「あの、青娥、そろそろ本当にやめてあげてください。その……私も恥ずかしくなってきました」
「そうですねぇ……あ、じゃあいい案が浮かびました」
「な、なんですか……?」

屠自古は、嫌な予感はするものの一応聞いてみた。
一瞬の間を置いて向けられた青娥の微笑を見て、屠自古の強張った肩から力がふっと抜け――


「屠自古さんが太子殿にしてもらえればいいんですよ」
「え?え?」

その一瞬の隙に自らは後ろに少し下がって屠自古の手を引っ張る青娥。
完全に気を抜いた瞬間を狙われた屠自古は全く自分を支えることが出来ず、引っ張られた慣性のまま神子の方へと倒れこむ。

驚いた神子は屠自古を受け止めようとして――抱き止める形になった。

「――!!な、ちょ」
「青娥、貴方いきなりすぎ――」

屠自古は慌てて離れようとするが驚きと酔いと喜びがごっちゃになって全く力が入らない。
神子も屠自古を起こそうと屠自古の肩に手を置くが――そこであることに気づく。

「あら、たまにはこういうのもいいじゃないですか」

神子はこちらに向かってくるある人物の姿を確認し、笑いながら言う青娥の言葉と――彼女の心の声を聞いて彼女の狙いを理解する。

「そうですね、たまにはこういうのもいいかもしれません」
「え、と、み、神子さま?」

屠自古を二度目の衝撃が襲う。
肩に置かれた神子の手は屠自古を助け起こすことなく、そのまま屠自古の体を滑らせると彼女の頭をある地点へと誘導する。


すなわち、神子の膝の上へと。


「ちょっと、みみみみこさま!?」
「屠自古、落ち着いてください」

ぽん、と屠自古の頭の上に神子の手が置かれる。
スカートの薄い生地を経て、火照った神子の体の暖かな感触が屠自古の冷たい体に伝わる。
その状態で落ちつけようもなかったが、なんとか起き上がろうとする心に反して体は硬直しきって動かない。


そこに――新たな人物の声がかかる。


「ここよろしいですか?」
「えぇ、どうぞ。お恥ずかしいところを見せてしまい申し訳ありませんが」
「な……!聖白蓮!?」

声をかけてきた人物の姿を確認し、屠自古は起き上がろうとするが神子に押さえつけられて起き上がることが出来ない。

「いいんです、屠自古。このままで」

小さく、神子が屠自古に耳打ちする。

「あら、聖さん。こちらに来てよろしいのですか?それとも部下の尻拭いに私を追って来たとか?」
「いえ、歓迎会、という名目で御呼ばれしたのですから、組織の超たるものがその主役にごあいさつしないというのも失礼かな、と」

青娥の安い挑発には乗らずに、微笑を絶やさぬように聖が言う。

「御配慮感謝します。……すいませんお待たせしてしまって」
「あら、私が伺おうとしていたこと、ご存じだったのですか?」
「えぇ、なんとなく。貴方は訪ねてきてくれるだろうと思いました」
「流石豊聡耳様、先見の明をお持ちですね」

そう言って、聖は神子の隣に腰を落ち着かせる。
神子を挟んで座る青娥と神子の膝の上に枕する屠自古を一瞥したあと、神子に御猪口を渡して酒を注ぐ。

「このたびは失礼しました」
「何がです?」

深々と頭を下げて本題を切り出す聖に対して、神子はとぼけたように聞き返す。

「御存じでしょう?聖輦船を命蓮寺とし、あの地に建てたのは偶然ではございません」
「それは貴方方の事情を考えれば当然のこと。謝る道理がありませんよ」

注がれた酒を呑み干して神子が言う。
そこに再び聖が酒を注ぐのを見て、神子はその聖の手から持っていた酒を受け取ると、聖に対して空の御猪口を渡す。

「それにあなたほどの力ならば、私達の復活を妨げ二度と目覚めぬよう術を解くこともできたはず」

聖が受け取った空の御猪口に神子が酌をしながら言う。

「貴方の『欲』はその択を選ばなかった、というだけで十分釣り合いが取れてると思います」
「……!!」

神子の言葉にぞっとする屠自古。

(……この方はそこまで分かったうえで命蓮寺の存在を許していたのか)

自分の命が危ないとわかっていながら、その相手が手を出さないと信じるということは容易なことではない。
口ではまるで対等であるかのように言っているが、言外には大きな貸しを与えたという事実を含んでいた。

「すべてお見通しでしたか……恐ろしい御方です」

聖も同様の恐れを少しだけ含んだ声で、答える――最も、それでも笑みを崩すことはしなかったが。
聖は注がれた酒にためらいもなく口をつけ、息を吐く。

ほんの少しの沈黙が訪れる。

「……私自身は仏の道を行くことも、妖怪達に手を差し伸べることも間違ってるとは思っていませんし、布教を止めるつもりもありません」

躊躇いがちに再び聖が切り出す。

「ですが、どこかできっと聖人、というものに憧れていたのかもしれません。あなたや……かつて聖人とやばれた方々の持つ神にも通ずる力はついぞ私は得ることが出来ませんでした」

昔を懐かしむように、空を見上げて聖が言う。

「あなたはこの世界をどう思いますか?」
「まだ来たばかりですが……少なくとも今日こうしてこの場で広がる風景には驚いています」

聖の問いかけに正直な感想を神子が答える。

「……私も初めてこの地に復活したとき同じ感想を抱きました。……出来ることならば私は貴方方とも手を取りあえれば、とも思っています。どんなに茨の道であっても」

少なくとも屠自古には、聖の言葉が搦め手であるこのようには聞こえなかった。
そして、それは――神子も同じであった。
それほど聖の声には怒りも敵対心も含んではいなかった。

「妖怪も、人も、あるいは神や悪魔でさえも、すべての者が手を取り合う世界……出来ると御思いですか?」
「それはわかりません……ですが神と仏が手をとることは出来たのです。ならば不可能ではないと思います」

真摯な目でお互いを見つめあう神子と聖。

「そうですか……それは私も願っています。ですが、人に仇なす妖怪がいて、あなたがそういった妖怪とも共に歩むと言うのであれば……私は人を総べ救いをもたらす者として、剣を取ることはためらいません」

そっと腰に下げた『七星剣』の鞘に手を当てる神子。

しばらく視線を外すことなくお互いを見据えるが――

「そうならない未来が来ることを祈ってます」

ふっと笑い、聖は視線を外す。

「そうですね」

神子も表情を緩め、酒を呑む。
空になった二人の御猪口に青娥が酒を注ぐと、にこやかに二人に乾杯を促す。
お互いの御猪口を軽く打ち鳴らすと、二人はそれを一気に口へと含んだ。

「では、今日の所はこれで」

空になった御猪口を地面に置くと、聖は立ち上がる。

「えぇ、またどこかで」

短い会合の終わりを引き延ばすことなく、神子は聖に軽く頭を下げる。

「はい、失礼させていただきます。亡霊さん、突然訪れて太子様をお借りして申し訳ありませんでしたね」
「いえ……」

聖は屠自古に対して、膝を曲げて視線を落として言う。
屠自古は改めて見られて、羞恥に少し頬を赤くするが……この状況では隠しようがなく目を伏せることしか出来ずに答えた。

「御帰りになられるのですね。では、こちらの方々も持ち変えっていただきますか?どうやら少し呑みすぎて足元がふらつくようですので」

立ち去ろうとした聖に対して、青娥は後ろに連れた雲山たちを手で示してにこやかに告げると、ずっと笑みを崩さなかった聖が頬を少しだけひきつらせる。
だがそれも一瞬で消し去り、元の笑顔を作れるのはさすが高い徳を積んだ僧だというべきであろう。

「ご迷惑をおかけしたようですね。失礼しました。……雲山、そのまま連れてきて」

困った顔をした入道が言われて顔の部分を、コクッコクッと縦に振る。
それに合わせて前後に振られたことに対して、批難するように雲山の頭をぺしぺしと芳香が叩く。

「よろしくおねがいします。芳香、降りなさい。私達も帰るわよ」
「おぉう!ついに我々が帰るべき時がきたか!!」

青娥は聖に白々しく頭を下げると、と雲山の頭に噛みつく芳香に向かって声をかける。

「またな!……戦友よ!!」

ほとんど動かない腕を振り上げて、芳香が雲山に向かって叫ぶ。
その芳香を神子の方へと無理やり向かせて青娥は来た時のように、うやうやしく頭を下げる。

「では、太子様、また霊廟にて」

青娥はそういって、霊廟の方――神社の裏手に向かって飛ぼうとするが――

「待ちなさい!あなたの御帰りはこちら!」

その肩掴まれ、引き留められる。
青娥が振り返ると、そこには白いセーラー服に身を包んだ船幽霊が険しい顔で青娥が見つめていた。

「あら?どうなされたのです?……えーと、ルナサさんでしたっけ?」
「ムラサ!キャプテン・ムラサだ!!」

青娥の安っぽい挑発に、こちらはひっかかったらしい、顔を真っ赤にして聖輦船の船長――村紗水蜜が抗議する。

「私がいない間にうちの島で随分暴れてくれたみたいですねぇ……こんな雑魚を倒したくらいで命蓮寺に勝ったとは思わないでいただきたい!」
「だ、誰が雑魚だ、誰が…!」

びしっと底の抜けた柄杓を青娥に向かって突き出しす村紗に対して、その後ろから辛うじて意識が残っていたらしい尼風の妖怪が呻く。

が、当の村紗は全くその声を相手にしなかった。

「とにかく、もう一戦付き合ってもらうよ!前哨戦は三面まで、って相場が決まってるんだ!!」
「あら、それは構いませんが……ですが、よろしいのですか?」
「……なにがよ?」
「船を沈める筈の船幽霊が、沈められて船をこぐなんてあまりにひどい脚本だと思いませんか?」

不敵な笑いを浮かべて、その笑みを羽衣で隠す仕草をする青娥。

誰が見ても挑発してるのは見え見えだったが――

「……テメェは沈めるぞ……!?」

村紗には予想以上の効果を上げたようだ。
今にも掴みかからんばかりの勢いで青娥に詰め寄る。
だが、途中で首元を掴まれ持ち上げられて、踏み出す足が空を切る。

「あ、こら雲山!離せ!はーなーせーーー!!」

雲山に大きな手に掴まれた村紗がジタバタともがくが、その願いは聞き入れらなかった。

「村紗、ここで騒げば豊聡耳様にまでご迷惑がかかります。青娥殿が良いと言ってるんだから戻ってお酒で勝負なさいな」
「でも聖!いいじゃん!ここで皆沈めちゃえば――」


――ゴッ


まだバタバタと手足を振りまして騒ぐ村紗の頭に、聖から無言の拳骨が振り落される。

「……あちらで。いいですね?」
「……はい」

一撃で大人しくなって、頭をうな垂れたまま村紗は雲山に運ばれていく。
改めて神子達に向き直り、ぺこりと頭を下げて聖が元の場所へと歩き出し、青娥もそれに続く。

「青娥殿は一体何を企んでいるのでしょうか……?」

一連の出来事を黙って見届けた後、屠自古は神子に対して聞いてみた。

「気づきませんでしたか?貴方が藤原の娘にあれ以上怒れなかったように、聖も穏やかに話を進めざるを得なかったんですよ。こっちがこんな態勢ですからね」
「……そこまで考えていたんですか?」
「真意は分かりませんけどね。恐らく、あれが青娥なりの気遣いと牽制なんでしょう。私達に対しても……聖達に対しても」
「?それはどういう……」

少し困った顔で神子が言うが、屠自古にはその言葉の意味するところは分からなかった。

「あぁ、わからなくていいんですよ。きっと彼女自身今日の景色を見て困惑してる部分もあるんでしょう。だからかのような道化を演じてるんです」

ますます屠自古にはわからなかったが――

「本当につかみどころがない割には軸がぶれない……不思議な人ではありますよ、彼女は」
「あぁ、それはなんとなくわかる気がします」

その言葉は十分納得することができた。
屠自古は少しだけ顔を傾けて青娥達の去って行った方向に視線を送るが――すでに彼女達の姿は見えなかった。





―――――――――――――――――――――――――――――





宴もたけなわを過ぎ――


周りは静かになり、帰ったか酔いつぶれたか――周りにいた人や妖怪の姿も明らかに少なくなり、私達が来た時の半分強といったところで、霊夢や魔理沙の姿も見えない。
かろうじてまだ元気な人妖達は二つの輪を作り盛り上がっている。

そのうちの一つ――中央の少し離れたところでは勇儀と萃香が元気な妖怪達を集めまた騒いでいる。

そしてもう一つは――私達のいる場所から遠く離れた場所から声が聞こえてくることから察するに、恐らく元々聖達がいた辺りで青娥と命蓮寺の誰かが呑み比べでもしているのだろう。
無茶してなければよいのだけれど。


一方、私は、というと――


未だにこうして神子様の御膝をお借りしている。
布都も眠りから覚めることなく安らかな寝息を立て、時折幸せそうな寝言を言っている。
流石に照れと酔いは冷めつつあるが、それでもまだ気恥ずかしさを感じずにはいられない。

(……そういえばこうして神子様と二人きりでゆっくりするのは太子神子様が復活なされてから初めてですね……)

その神子様は残った酒を口にしながら、空を見上げ何ごとか考えておられるようだった。

「屠自古、貴方は私に何をしてもらいたいですか?」

青娥達がいなくなってしばらく続いた沈黙を打ち破って、唐突に空を見上げたまま神子様が聞いてくる。
質問の真意を掴めずに答えあぐねていると神子様が顔を下ろし、私の顔を覗き込んでくる。

「私に出来ることであればなんでも自由に」
「えっと、その……」

綺麗な星空を背に、こちらをまっすぐに見つめてくる神子様と目が合って再び顔が熱を帯びだしたのを感じて、思わず視線をそらしてしまう。
何を、という漠然とした問いかけに思考を巡らせ――青娥が戻ってきた時のやりとりを思い出してしまう。

「無理に気を遣ったり、見栄を張らないで結構です。私に隠し事は通用しませんよ」

耳当てに手をかけ、神子様が微笑む。
無理に聞く気なんてないのにそんな言い方をするのは少しずるいな、とも思ったが、お互いお酒も入っている上周りには眠っている布都しかいないので思ったままを口にする。

「……今はこうして太子様の傍らにいられるだけで何かを望んだりなどと……。その……本当は私が膝枕してあげたかったんですけど……」

意を決して思いを口にして、神子様の顔を見上げる。
神子様がきょとんとした顔を見せ、一瞬の静寂のあと――


「あはははははははは!!」


笑った。

「何故笑うのですか!?」

思わず変なことを言ったのかと思って恥ずかしくなる。

「いえ、失礼しました。本当に予想外な答えが返ってきたので」

ひとしきり笑い終えて、目を擦りながら神子様が言う。

「屠自古は本当に欲が少ないですねぇ。強敵です」
「……敵じゃありませんよ」
「分かってますよ。怒らないでください」

そういってまた微笑む。
ふと、今日の神子様はよく笑うな、と思った。
復活してからの数日間はいつも難しそうな顔をしていたから、それが嬉しい。

「屠自古」

口調を改めて、真面目な声色で名前を呼ばれる。

「……はい」

「私は……眠りに就いた時、復活することが出来たならば再び民の先に立ち、彼らを導く者として力を尽くそうとばかり考えていました」
「……はい。私も布都も……青娥殿も含め、皆の宿願でございます」

「もちろんその気持ちは今も変わりませんし、そのために降りかかるあらゆる辛苦を拒まぬつもりです」
「……」

「不遜な考えかもしれませんが、私はこの国を導くために生まれたと思っています。いえ、生まれたからには自分に成すべきことを成さねばならぬ、と」

真剣な表情で再び神子様が空を見上げる。

「……ですが、それは少し偏狭な考え方だったのかもしれません」
「太子様!?それは――」

元の微笑を浮かべて、再び私へと視線を戻して――その穏やかな顔を見て何も言えなくなる。

「もちろん自分の生きたとき……あの飛鳥の頃にしてきたことや仙人となるため眠りに就いたことが間違ってるとは思いませんが」

思えば昔から、私には神子様の為政や道術を学ぶことの意図や趣旨を完全に理解することは出来なかった。


布都や青娥なら、神子様がこうして自分のこれまでを振り返ってこのように言う意味が理解できるのだろうか。


「……太子様は本当にあの僧の手をも取るというのですか?」

私は、先ほどからずっと気になっていたことを聞いてみる。
これも、神子様がなんて答えるかわからなかった問いかけだ。

「それはわかりません。そうなるかもしれませんし、きっとならないだろうとも思います」
「太子様……」

困ったような顔をする神子様の顔を見て、脳裏に慧音さんと……藤原の娘の姿が浮かぶ。


自分は、彼女を許す日が来るのだろうか?


神子様がそっと私の髪に触れる。

「現世で私の成したことが忘れられていったように、人が人を導くということが必ずしも正しい世ではないのかもしれません」

髪を丁寧に梳くように、神子様の手が私の頭の上を動く。

「その時に必要なのは絶対的な聖人の存在ではなく、その和が続くということなのかもしれませんね」

優しく、愛でるように髪を弄る仕草に気を取られつつも、神子様の言葉が頭の中で渦巻く。
神子様はこの幻想郷という地で蘇ったことを、どう考えているのだろうか。
私の考えは神子様には見透かされているらしく、神子様が答える。

「大丈夫ですよ。それでも私は、私です」

私はそっと手を上げて、頭を撫でる神子様の手に重ねる。
きゅっと握ると、答えるように神子様が握り返してくる。

冷たい私の亡霊の手を温める、人の温もり。

改めて、神子様も人間であるという当たり前のことを実感する。

「『和を以て尊しとなす』……私がかつて言ったことでしたね。……まさか仏門の方にそれを思い出させられるとは思いませんでしたけど」

少しだけ自嘲気味に言って、空いてる方の手で御猪口を取り、呑み干す。

私は神子様の手を握ったまま体を起こす。

「もういいんですか?」
「えぇ、ありがとうございます。お注ぎしますよ」

本当はもっとずっとこうしていたかった。
でも、それじゃいけないと思った。
いつまでも神子様に甘えてばかりではいけない――そう、思った。

「それではお願いします」

御猪口に注ぐと神子様は一気に呑み干して、返杯してくる。
杯を受け取って神子様に注がれた酒を同じように呑み干して、また杯を返す。
私は近くにあった別の御猪口を取ると、再びお互いの御猪口を酒で満たし……それを軽く合わせる。

お互いの空いた片手を、再び重ねる。

やっぱり神子様の手は暖かかった。

「聖達のことも藤原の者のこともすぐに折り合いをつけれることじゃないでしょう」
「……そうですね」
「もしあのままの霊廟にいるのが嫌なら、お引っ越しでもしましょうか。青娥ともそんな話はしてましたし」

二人並んで、手を繋いで、空を見上げて――



その時だった。



星の輝く空に幾筋もの流れ星が走る。
あちらこちらから放射状に広がっては消えていく星の欠片達。

「これは……綺麗――」
「本当……美しいですね……」

無意識に、口から素直な感想が零れる。

恐らく残っていた他の妖怪達も気づいたのだろう、少し離れたところからも歓声が上がる。

「花火、というものですかね?でも、なんでこんな時期のこんな時間に……」

当然、それに答えられる人はいない。
けれど、その疑問はすぐに消えた。

唐突に広がった幻想的な風景に目を凝らしていると、空を彩る光の合間を横切る黒い影が見える。
一際大きな光が走ると黒い影の正体の満足げな顔が一瞬照らされて、映る。

――これはサービスだぜ。歓迎だからな。

大きな音を立てて夜に咲く花畑の中から、そんな言葉が聞こえたような気がした。

「これは……本当に感謝しないといけませんね」

最高の肴と共に酒を味わって、神子様が言う。

「そうですね、こんな美しい空を私は見たことがありません」
「それもそうですが……」

神子様がこちらを向いたことに気づいて、私も一度、空の華から目を落とす。

「良かった。屠自古がそんな顔をしてくれて」

言われて初めて、自然と顔が綻んでいたのを知る。

「私たちが眠りについてから、貴方の心から笑顔が消えて……復活してからも貴方は必死に私達がこの幻想郷での信仰を集めるためにどうすればいいか、ということを難しい顔をして考えてくれていた」
「……それは、当たり前のことです」
「ともすれば暴走しがちな布都や青娥を冷静に抑えてようとしてくれる屠自古にはいつも助けてもらってますが――」


「そうやって美しい顔をさらに輝かせる屠自古も私は好きですよ」


満面の笑みで、神子様が言う。

「私は、私の一番そばにいてくれるのが貴方で……本当に幸せです」

次々と光っては美しい閃光を残して消えていく弾幕の光のシャワーの中で、最上級の言葉が私の耳に飛びこむ。
言葉にならない思いに心が満ち溢れていく。
頬を暖かい何かがなぞるのを感じたが、これには気付かない振りをした。

「太子様」
「はい」
「私は、ずっと、自分などが太子様の隣にいていいのかと疑問に思っていました。布都や青娥のようになにも特別な力などを持たない私が、二人と同じように太子様に仕えるなんて、と」
「はい、知っています」


「……何も出来ない私が、ここにいてもいいのでしょうか」


意を決して、誰にも決して言えなかったことを聞いた――誰よりも答えて欲しい人に。


答えを待つほんの数秒が、一人過ごした千四百年の時よりも長く感じる。

「何も出来ない、というのは屠自古の勘違いですよ」
「……え?」

神子様は手に持っていた御猪口の中を一気に呑み干して床に置く。

と、いきなり倒れ掛かって――私の膝の上へと頭を置いた。

「え?み、神子様!?」

私はあまりに予想外な展開に、慌てて立ち上がろうとする。

「おっと、立たないでくださいね。屠自古がいなくなってしまったら、私、床に寝転ぶことになります」

そう言われて、何も動けなくなる。

「屠自古、いいですか」
「は、はい」
「私も一人の人間です。いかに力を持とうとも、ただの人間です」

神子様は言いながら、私の手を取る。

「これから聖人・聖徳太子としてこの幻想郷、この国を治める器となるか、あるいは、一人の人間・豊聡耳神子として生きていくことになるか……それは分かりません」
「……太子様なら、きっとできます」

神子様の手を握る手に力を込める。

「ありがとう。でも、それはどちらであろうと小さなことにすぎないのです」

神子様が私の気持ちを理解するかのように優しく握り返してくる。

「私が私であることは変わりません。どうなろうと、どこであろうと」
「……はい」
「だから同じように屠自古にも……大きかろうと小さかろうと私が作る『和』のなかで、一番近くで私を支え、一番傍で私を支え、一番に私の作る世界を見てもらいたい」

そこで少し間をおいて、再び笑顔を浮かべて神子様が続ける。

「駄目でしょうか?」

神子様の言葉を聞いて、慧音に言われた言葉の意味を少しだけ理解できた。
妹紅が妹紅として、慧音が慧音として――あるいは聖もきっとそう決めたように、神子様も神子様のまま生きていくんだろう。


これまでも、これからも。


私にも出来るだろうか、蘇我屠自古としての自分をありのまま受け入れることが。


「……それほどの大役、本当に私で良いのでしょうか?」


その全ての答えを、誰よりも、自分よりも、信じられる人に託す。


「これほどの大役は屠自古にしか務まりませんよ」

神子の答えを聞いて――


――ありがとうございます、神子様


頑張って口に出そうとした一言は、溢れる涙のせいで全く声にならなかったけれど――

「こちらこそありがとう、屠自古。これからもよろしくお願いします」

私の心を理解した神子様が、言う。

私の冷たい頬を暖かい涙と、それよりも暖かい神子様の手が撫でていく。

「さぁ笑ってください、屠自古。折角のこの美しい景色、滲んだ姿で覚えておくのはもったいないですよ」

神子様に促され、涙がこぼれないように、今日という日をずっと色褪せぬまま覚えておけるように、私は空を見上げる。
一際大きな光が走り、夜空の彩りは最高潮を迎えている。


私は――この星降る幻想郷の夜に、そっと誓いを立てる。



――これからの日々が何千年と続いても、良き日であろうと悪き日であろうと、再び神子様が眠りに就くようなことがあっても、辛き道であろうと易き道であろうと――

私はこの亡霊としての身が朽ちるまで――いや、例え朽ちようとも……青娥に体を貰っでも、蘇ってでも――私は、神子様に添い遂げる。


「神子様、私……これから、頑張ります」

空を見上げたまま、そっと決意を口にする。

「ふふ、これからも、今まで通り頑張ってくださいね」



最後に辺り一面を昼間にしたかのように明るく照らす巨大な大輪を咲かせて花火は終わり、夜空は元の色を思い出す。
残っていた妖怪や人間たちから拍手が起こり、やがてその拍手も止むと、妖怪達はそれぞれ帰り支度を始める。

膝の上の神子様は体を伸ばして、呟く。

「さて、真面目な話も終わって横になって気が抜けたせいか、少し酔いが回ってきちゃいましたねぇ」

伸ばした身を縮めると、私の膝の上で蹲る。
そういえば、鬼達が去って行って一度落ち着いてからも神子様は結構な量を呑んでいた。

……普段では考えられないくらいの量だ。

「そういえば神子様、結構呑んでらしたが……お体の方、大丈夫ですか?」

少し、心配になって神子様の頭を撫でる。
決してお酒に強い方ではないのだから。

「えぇ、大丈夫ですよ。少し頭は痛みますが……すっごく柔らかいですし」
「……はい?」
「ふふふー、実はどうなってるか気にはなってたんですよねぇ」


そこで、神子様はふにっ、と指で押した。


自分の枕となっている――私の足を。


「た、太子様……?」
「あ、とじこ動かないでください。頭に響きます」

思わず飛び上がりそうになったが、手を掴まれて止められる。

「ひんやりして気持ちいーですねー。これ感覚はあるんですか?」
「ちょ、ちょっと太子様!何やってるんですか!!」

もう片方の手でふにふにとつま先――といっていいのかはともかく――を突いてくる神子様。

「ちょっとくすぐったいです!ど、どうしたんですか!?」
「大きな声出さないでくださいって。感覚はあるんですねぇ、不思議です」
「ひゅい!?」

つつく仕草をやめたかと思えば、今度はさすさすと足先を撫でてくる。


この時、やっと私は気づいた。


「……もしかして神子様、酔ってます?」

「いえいえ、それほどでもー……あー、とじこの足ってなめらかなのにもにゅもにゅしてて心地良いですねー。まるで雲の上に身を置いてるかのようです……ふふふ」

そういって顔をさらにうずめてくる。

考えれば、当たり前だ。
いつもならとっくに酔いつぶれるくらいの量を呑んでる。


……神子様は、完全に酔っている。
さっきまでは持前の強靭な精神力で保っていたのだろう、気が抜けて一気に口調も態度も酩酊している時のそれになる。


「もちもちしてるのに弾力あるし……なんていうんですかね?べとべとしないお餅みたい。でもひんやりしてるんです」
「それはわかりましたから、神子さま、もう起き上がって――――っ!?」

言葉の途中で、声にならない声になる。


神子様がなにを思ったか――ぺろんと、舐めてきた。

足を。



「ちょちょ……なにするんですか!……ひあぁっ!……どこ触っ――!!」
「きれいなおみあしをしてますね、とじこは……。おいしそうです……えいっ」
「はぁぁ……っ!!」

すごく優しく、甘く、太ももを噛まれた。
あまりのくすぐったさに背筋がぞくぞくっと震える。

「ちょっと!神子様やめてください!」

離れようとするが、握られていた手にはすごい力が込められて振りほどこうにもほどけない。

「えー、たまにはいいじゃないですかー」

目一杯甘えた声で言って、私の足の頬ずりしてくる。

「……ッく!!ダメですよ!さっきまでの真面目な神子様はどこにいったんですか!?」
「さっきまではさっきまで、です。……だって、とじこの足気持ちいいんですもん。もちもちー」
「ぶちますよ!?」

先ほどとは、別の涙が出そうになる。
頭を思いっきり引き離そうとするが、力では全く敵わない。

(……この細腕でなんでこんなに力あるんですか!?)


「とじこ、嫌なんですか?」
「嫌か……どうかはともかく……!とりあえず落ち着いてください!!」
「……でもとじこの『欲』はそういってませんよ?」

「……ッ!!」

一気に顔が赤くなる。
その一瞬の隙にさらに神子様が足をがっしりと掴む。


「えへへー。ありがとうございますー」
「都合よく力を使わないでください!!あーもう!!」

「太子様……屠自古……楽しそうだのう……」
「!?」

いつの間にか起きてきていた布都が、指を咥えてすぐ近くに座っていた。
ものすごく恥ずかしかったが、それよりも今はこの状況に助け舟が来たことを喜ぶべきだと思った。

「布都!ちょうどよかった!太子さ――」
「布都も触ってみてくださいよ!すごい感触ですよ!」

一瞬、この方は何を言ってるんだろうと本気で思った。

「……太子様がそういうのであれば!!」

そして、こいつも。

「ちょっと布都!?貴方まで酔っぱらってるんですか!?」

布都も、こてん、神子様との反対側に頭を置くと、ふにふにと足を突いてくる。
――この裏切り者ッ!!

「あー柔らかいですのう……ふにふに?」
「そうでしょう?さすがとじこです」
「さすがとじこですな!」
「わけの……くぅっ……!わからないことを……ひゅぁ……言わないでください!!」

足を弄るのを止めようとしない二人を無理やり引き離そうと思って――そこで気づく。
いつの間にかまだ帰っていなかった人妖が数人、輪を作ってこっちを見ている。
そこには、青娥や霊夢、魔理沙の姿もあった。

私が睨むと、皆がにっこりと笑う。

――あぁ、もう皆まとめて雷を落してやりたい……!

私は、死にたくなる――死んでるけど――ほどの羞恥と怒りに顔をこれ以上ないくらい真っ赤に染める。

「とじこ、そんな怒った顔をしないでください。笑ってるあなたが一番美しいですよ」
「そうだぞう、とじこよ!」
「……くっ!!……わかりましたから離れてください!!皆見てますよ!」

二人の頭を押し返すが……全く離れてくれない。

「むー……でもとじこが私の一番傍に居てくれると言ったんじゃないですかー」
「言いました、言いましたけどぉ……はぁ……!!」
「ずるいですぞ!太子さま!我も二人の輪に入れてくだされー!!」
「もちろんですよー、ふともいっしょです!」

神子様が私の足と布都の体をまとめて抱きかかえる。
……その間も頬ずりすることは忘れない。

「それは……ひん!いいですけど……!……ふぅ……そろそろ本当に……怒りますよ……?」
「……とじこ、あなたはあなたの思うように生きていいんですよ、我慢しなくたって……ふにふにー」

神子様の言った言葉と、二人が同時に太ももをふにふにと揉みしだいたことで――
私の中で何かが切れた。


よし、今はやりたいように生きよう。

自分の心を隠すことなく。



ついさっき誓ったことを、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ後悔しつつ――

手に力を込める。

「太子様、布都」
「はい、なんでしょう」
「なんだ?」

それぞれの手を止めて私の顔を見上げる二人に、出来る限りの、精一杯の笑みを浮かべて告げる。

「たわむれは……おわりです」


ほんの少しだけ、こんな日もあってもいいかな、と思いながらも――

私は、手に蓄えた巨大な雷の力を二人に向けて放つことにした。



――終――